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最高裁判所第一小法廷 昭和63年(オ)611号 判決 1993年2月25日

上告人

福本龍藏

外一二七名

右一二八名訴訟代理人弁護士

森川金寿

高橋修

太田雍也

榎本信行

島林樹

四位直毅

岩崎修

盛岡暉道

成瀬聰

関島保雄

大山美智子

肥沼隆男

古澤清伸

佐藤和利

葛西清重

吉田健一

上告人敦賀平山、同土方章子、同細貝光男、同後藤利雄を除く右一二四名訴訟代理人弁護士

山本哲子

森田太三

山本英司

小林政秀

吉田栄士

佐々木良博

佐川京子

中杉喜代司

井口克彦

池末彰郎

村田光男

上告人一二八名訴訟復代理人弁護士

山﨑泉

岸本努

中村秀示

水口真寿美

勝部浜子

森川文人

被上告人

右代表者法務大臣

後藤田正晴

右訴訟代理人弁護士

藤堂裕

右指定代理人

加藤和夫

外七名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人森川金寿、同高橋修、同太田雍也、同榎本信行、同島林樹、同四位直毅、同岩崎修、同盛岡暉道、同成瀬聰、同関島保雄、同大山美智子、同肥沼隆男、同古澤清伸、同佐藤和利、同葛西清重、同吉田健一、同山本哲子、同森田太三、同山本英司、同小林政秀、同吉田栄士、同佐々木良博、同佐川京子、同中杉喜代司、同井口克彦、同池末彰郎、同村田光男、同復代理人山﨑泉の上告理由第一点について

所論は、要するに、上告人らの本件訴えのうち差止請求に係る部分(以下この部分の請求を「本件差止請求」という。)は、人格権、環境権に基づき、被上告人に対し、被上告人が妨害状態をひき起こしていること又は妨害を除去し得る立場にあることを前提として、(1) 主位的請求として、アメリカ合衆国軍隊(以下「米軍」という。)をして、夜間の一定の時間帯につき、本件飛行場を一切の航空機の離着陸に使用させてはならず、かつ、上告人らの居住地(屋外)において五五ホン以上の騒音となるエンジンテスト音、航空機誘導音等を発する行為をさせてはならないことを求め、(2) 原審における予備的請求として、右主位的請求が認められない場合、被上告人の米軍への働きかけ又は被上告人独自で採り得る対策を実施する方法によるとを問わず、右時間帯につき、上告人らの居住家屋内に、本件飛行場から五五デシベル(C)を超えるエンジンテスト音及び航空機誘導音並びに本件飛行場に離着陸する航空機から発する五〇デシベル(A)を超える飛行音を到達させてはならないことを求めるものであり、右各請求はいずれも包括的不作為請求であるところ、右主位的請求を却下した一審判決に対する控訴を棄却すべきものとした原審の判断には、理由不備の違法、経験則違反及び差止請求権に関する民法、訴訟法その他の法令の解釈適用の誤りがあり、その結果原判決は憲法三二条に違反し、また、予備的請求を主張自体失当として棄却した判断には、判断遺脱又は防衛施設周辺の生活環境の整備等に関する法律(以下「環境整備法」という。)の解釈適用を誤った違法がある、というのである。

論旨は、まず、本件差止請求の前提として、被上告人が妨害状態をひき起こしていると主張するが、原審の適法に確定したところによれば、本件飛行場は、被上告人が日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(昭和三五年条約第六号)及び日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(昭和三五年条約第七号)に基づき、米軍の使用する施設及び区域としてアメリカ合衆国に提供しているものであって、上告人らの主張する被害を直接に生じさせている者は被上告人でなく米軍であるというのであるから、右主張はその前提を欠き失当である。また、被上告人が米軍に対して本件飛行場を提供している事実から、被上告人を米軍との共同不法行為者と認めることができないことも、原審の説示するとおりである。

次に、論旨は、本件差止請求の前提として、被上告人が妨害を防止し得る立場にあると主張するが、上告人らが被上告人に対してその主張するような差止めを請求することができるためには、被上告人が米軍の使用する航空機(以下「米軍機」という。)の運航等を規制し、制限することのできる立場にあることを要するものというべきところ、前記のとおり、本件飛行場に係る被上告人と米軍との法律関係は条約に基づくものであるから、被上告人は、条約ないしこれに基づく国内法令に特段の定めのない限り、米軍の本件飛行場の管理運営の権限を制約し、その活動を制限し得るものではなく、関係条約及び国内法令に右のような特段の定めはない。そうすると、上告人らが米軍機の離着陸等の差止めを請求するのは、被上告人に対してその支配の及ばない第三者の行為の差止めを請求するものというべきであるから、本件差止請求は、その余の点について判断するまでもなく、主張自体失当として棄却を免れない。

また、論旨は、騒音等による被害防止のため被上告人独自で採り得る対策が可能であることを理由に被上告人に対して本件差止請求をすることができると主張するが、上告人らの主張する被害を直接に生じさせている者が米軍であって、被上告人でないことは前示のとおりであるから、被上告人は被害防止の措置を採るべき法的立場にはなく、右主張は失当である。被上告人が環境整備法に基づき本件飛行場の周辺住民のために講じ、又は講ずべき対策は、被上告人の不法行為責任に基づくものではなく、これとは別個の国の責務に基づくものである。

なお、論旨は、上告人らは環境整備法に基づき被上告人に対して本件差止請求をすることができるとも主張するが、同法に上告人らが主張するような差止請求を可能とする規定は存在しない。

ところで、上告人らの本件差止請求のうち、主位的請求に係る訴えは、その請求の趣旨を「被上告人は、上告人らのためにアメリカ合衆国軍隊をして、毎日午後九時から翌日午前七時までの間、本件飛行場を一切の航空機の離着陸に使用させてはならず、かつ、上告人らの居住地において五五ホン以上の騒音となるエンジンテスト音、航空機誘導音等を発する行為をさせてはならない。」とするものである。右請求の趣旨は、被上告人に対して給付を求めるものであることが明らかであり、また、このような抽象的不作為命令を求める訴えも、請求の特定に欠けるものということはできない。したがって、右請求の趣旨をもって、それが直接的に米軍の行為の停止を求める趣旨であるとすれば被告適格を欠くから不適法であるとし、また、それが被上告人に対して給付を求める趣旨であるとすればどのような具体的行為を求めるのか明確でないから不適法であるとした原審の判断は正当でなく、前示のとおり、右主位的請求は主張自体失当としてこれを棄却すべきものである。しかしながら、右請求に係る訴えを不適法として却下した一審判決を取り消して請求を棄却することは不利益変更禁止の原則に触れるから、右却下部分に対する控訴は棄却するほかなく、原判決は結局において相当である。

以上によれば、上告人らの本件差止請求のうち、主位的請求に係る訴えを却下した一審判決に対する控訴を棄却し、また、原審における予備的請求を棄却した原審の判断は、結論において是認することができる。所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は採用することができない。

同第二点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨は、結局原審の専権に属する事実の認定を非難するものであって、採用することができない。

同第三点の一及び二について

所論は、原判決が違法性と受忍限度につき判示した部分をとらえて、本件飛行場の公共性を認めた原審の判断には、憲法及び法令の解釈適用の誤りがあり、また、原審が受忍限度論を採用した上、公共性及び地域特性が受忍限度を高める要素になるとし、被上告人の侵害行為の悪質性を考慮しなかったのは、理由不備又は理由齟齬の違法及び法令の解釈適用を誤った違法がある、というのである。

しかしながら、本件飛行場の使用が第三者に対する関係において違法な権利侵害ないし法益侵害となるかどうかについては、侵害行為の態様と侵害の程度、被侵害利益の性質と内容、侵害行為のもつ公共性ないし公益上の必要性の内容と程度等を比較検討するほか、侵害行為の開始とその後の継続の経過及び状況、その間に採られた被害の防止に関する措置の有無及びその内容、効果等の事情をも考慮し、これらを総合的に考察して判断すべきものであるから(最高裁昭和五一年(オ)第三九五号同五六年一二月一六日大法廷判決・民集三五巻一〇号一三六九頁参照)、原審が侵害行為の公共性の要素を考慮したことは何ら違法でない。そして、原審の確定した事実関係の下において、本件飛行場の公共性が認められるとした原審の判断は、正当として是認することができる。また、原審は、受忍限度を高める要素として、上告人らの各居住地域の特性を考慮すべきものとしているが、その説示するところは、航空機騒音に係る環境基準(昭和四八年一二月二七日環境庁告示)が、専ら住居の用に供される地域とそれ以外の地域であって通常の生活を保全する必要がある地域とについて各別に基準値を定めていることが十分に考慮されなければならないことなどをいうものと解されるのであって、右判断は不合理なものではない。結局、原審の判断に前記のような総合的な判断に欠けるところはないというべきである。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

同第三点の三について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する事実の認定を非難するか、又は原審の裁量に属する慰謝料額の算定の不当をいうものにすぎず、採用することができない。

同第四点について

いわゆる危険への接近の法理が認められるべきことは、前記大法廷判決に照らして明らかである。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するか、又は原審の裁量に属する慰謝料額の算定の不当をいうものにすぎず、採用することができない。

同第五点について

上告人らの本件訴えのうち将来の損害(原審口頭弁論終結の日の翌日である昭和六二年一月二九日以降に生ずべき損害)の賠償請求に係る訴えを不適法として却下すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採用することができない。

同第六点について

所論は、本件住宅防音工事に伴い設置された空調設備(冷暖房及び換気装置)の利用により上告人らが支出し、又は支出すべき電気料金は、騒音の防止のため当然に支出を必要とする費用であるから、上告人らの右電気料金相当損害金の請求を排斥した原審の判断には、法令の解釈適用の誤り、採証法則・経験則違反、審理不尽の違法がある、というのである。

原審の適法に確定した事実によれば、本件住宅防音工事は、国が環境整備法四条に基づき、原則として全額その費用を負担して行う助成措置として実施したものであるところ、同法の規定に照らすと、国が右工事による防音設備の利用に伴う維持管理費までも負担すべきものであるとは解されない。上告人らは、本件住宅防音工事に伴い空調設備を設置した結果、電気料金の基本料金が増額されたとしてその増額分相当額を、また、夏期(六月から九月まで)において冷房機の使用を余儀なくされたとしてその電気料金相当額(夏期の不快日数に基づいて割り出した冷房機利用時間によって算出した電気料金相当額)を損害として請求するが、環境整備法の右規定の趣旨、右のような空調設備設置の経緯、上告人ら主張の時間帯に騒音防止のため常時空調設備を利用する必要はなく、上告人らは右設備の利用により便益を受ける面もあることなどに照らして考えれば、その利用に伴う電気料金に相当する額は、当然に本件騒音と相当因果関係のある損害ということはできない。

したがって、上告人らの右請求を棄却した原審の判断は、結論において正当である。論旨は採用することができない。

同第七点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

同第八点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。右違法があることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は、原審の裁量に属する慰謝料額の算定の不当をいうものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官三好達 裁判官大堀誠一 裁判官橋元四郎平 裁判官味村治 裁判官小野幹雄)

上告代理人森川金寿、同高橋修、同太田雍也、同榎本信行、同島林樹、同四位直毅、同岩崎修、同盛岡暉道、同成瀬聰、同関島保雄、同大山美智子、同肥沼隆男、同古澤清伸、同佐藤和利、同葛西清重、同吉田健一、同山本哲子、同森田太三、同山本英司、同小林政秀、同吉田栄士、同佐々木良博、同佐川京子、同中杉喜代司、同井口克彦、同池末彰郎、同村田光男、同復代理人山﨑泉の上告理由

《目次》

はじめに

上告理由第一点(差止請求について)

一 はじめに

二 主位的請求(包括的不作為請求)

三 差止請求の相手方

四 差止請求の内容

五 環境権を否定した誤り

六 予備的請求についての判断の誤り

七 まとめ

上告理由第二点(被害認定について)

一 原判決の被害認定

二 航空機騒音被害の特質

三 共通損害としてのストレス等生理的被害

四 他原因との協働、身体的被害の憎悪

五 原判決が環境権を否定したことにより認定しなかった被害事実

上告理由第三点(違法性について)

一 公共性論に関する判断適用について

1 原判決に示された軍事公共性概念の把握と適用の誤り

2 国防上の公共性を他の行政部門の公共性と同一と判断した誤り

3 「戦時」と「平時」に区別して判断した誤り

二 受忍限度について

1 受忍限度論を採用した誤り

2 「特別な受忍限度」論の誤り

3 地域性も受忍限度を高める要素ではない

4 被上告人の侵害行為の悪質性について

三 国の対策について

1 原判決の騒音対策に関する認定

2 住宅防音工事の効果について誤った判断

上告理由第四点(「危険への接近」法理の採用について)

一 原判決の判断

二 「危険への接近」法理の違法性

三 右法理の本件への適用の誤り

四 航空機騒音被害は予見できない

五 転入の際の事情

六 まとめ

上告理由第五点(将来請求却下について)

一 はじめに

二 継続的不法行為と将来請求

三 原判決の理由付の誤り

四 まとめ

上告理由第六点(電気料相当損害金請求について)

一 原判決の判断

二 原判決は被害の実態の理解を誤った

三 妨害予防請求権であるとしても誤りである

上告理由第七点(消滅時効の援用を認めた誤り)

一 原判決の判断

二 消滅時効援用による不当な結果

三 被害の特質及び損害を知ったとき

四 加害者を知ったとき

五 権利濫用について

上告理由第八点(賠償額の低さについて)

一 原判決における損害賠償額の認定について

二 法の下の平等に反する賠償額の低額さ

三 他の騒音に対する慰謝料との比較

はじめに

一 この訴訟は、首都東京の住民が米軍機の苛烈な爆音によって日夜被害を受け、人権を侵害されている実情を明らかにし、せめて夜だけでも静かに眠らせてほしいという、まことにささやかな要求を掲げたものである。

被上告人は、一審以来このささやかな要求に対し夜間飛行の差止については、訴の却下を求め、損害賠償請求については、こともあろうに被害の存在さえ否定し、「仮にある程度被害が認められるとしても」それは受忍限度の範囲内であるとして、一切の請求を認めようとしない。

しかし、上告人らの今日までの長い辛苦に満ちた訴訟活動と運動の結果、一、二審裁判所は、被害の存在を認めたうえ、その被害は受忍限度の範囲を超えると判示し、原判決は一審判決を上廻る損害賠償額を認定した。

このように、被害の内容や受忍限度の判断基準などには後述のとおり不満があるにせよ、上告人らの被害の存在とそれが耐え難い程度のものであるという事実は、もはや争う余地がないものであることが明らかになった。

二1 第一審ならびに原審における検証を初めとした被害立証の結果、上告人らに生じている本件被害の存在とその深刻さを否定できなくなった被上告人は、いわゆる「軍事公共性」を主張し、上告人らの受けている程度の被害は、高度の公共性を有する安保条約とそれに基づく米軍基地の活動と比較衡量すれば、受忍限度の範囲内だと主張している。

これにたいし上告人らは、本件のように米軍機の夜間飛行の禁止と、爆音被害の賠償というささやかな要求の当否を判断する事案において、軍事公共性を持ち込むのは、牛刀をもって鶏を割くたぐいであり、こけ脅しの無用の論点の提示であると主張した。

軍事公共性は、憲法の平和主義の観点からすると、本来認められるべきものではないとし、もし仮りに、現実の米軍基地の活動と被害とを衡量する必要があるとすれば、「軍事公共性」の内実を被上告人は具体的に明らかにすべきであると主張してきた。

この点について、原判決は、

「戦時の場合は別として、平時における国防の荷う役割は他の行政各部門と特に逕庭はないのであり、国防のみが独り他の諸部門よりも優越的な公共性を有し、重視さるべきものと解することは憲法全体の精神に照らし許されない」

との判断を示した。この点は、憲法の基本理念である平和主義に対して一顧だに与えていない被上告人の主張、ならびに第一審判決に示された判断に比べれば、一定の前進を示したものともいえよう。

しかしながら、公共性を受忍限度の衡量要素と位置づけ、又公共性判断について戦時と平時とを区別したこと、軍事公共性を他の公共性と同列に置くに止まったこと、その他の点で重大な誤りをおかしているものといわざるをえない。

2 ところで、被上告人らと同様に米軍機・自衛隊機による騒音被害の救済を求めた厚木基地公害訴訟事件について、昭和六一年四月九日東京高等裁判所が示した判断は、本件被上告人の主張と同様に基地の高度の公共性のゆえに周辺住民に対する損害賠償を一切認めないというものであった。

これに対する世論の反発はきわめて強かった。

例えば、朝日新聞(昭和六一年四月一〇日付)は、「納得できない厚木判決」と題する社説を掲げ、「判決の理由づけは『国側勝訴の結論を導くための強弁の色合の濃いものである』」として、行政追随的態度を鋭くつき、判決は「『公共性は免責理由にならない』とした大阪空港訴訟最高裁判決の趣旨にも反する疑いがある」と指摘した。

毎日新聞社説(同日)は、この判決は防衛問題を「高度の公共性」という名のもとに聖域化し住民の生活権を下に置くもので、「司法救済の巾を一層狭めるものであって憂慮にたえない……騒音発生源側である防衛庁長官さえ認めているその被害について……『受忍限度内』と判断する裁判官は、いったいどんな耳を持っているのだろうか」と酷評した。

読売新聞(同日付)の「厚木の爆音はがまんすべきか」と題する社説も、「統治行為論」や「公共性」などの「理論があまりに多く使われると、司法の土俵をみずから狭めることになり、裁判所に対する国民の期待が失なわれかねない」と司法への期待の減退を憂え、「国民は防衛施設によってひとしく恩恵を受けている。一部の住民だけにその負担を強いてはならないと思う」とした。

このような新聞の酷評は、右厚木基地訴訟控訴審判決は国民の大多数が納得せず、否定していることを明らかに示したものといえる。

3 これに比較し、原判決に対する新聞の評価は対照的である。

朝日新聞は、昭和六二年七月一六日付の社説のなかで、原判決について、

「防衛を聖域化しようとする政府の意図は露骨になるばかりで、司法の一部にも追随する動きが見られる。判決はその傾向に一定の歯止めの役割を果たすのではないか。」と述べ、

「特筆されるのは、基地の公共性を一応は認めつつも『平時に国防が担う役割は外交や教育などとは違いはなく、国防のみが優先的な公共性を有し、重視されるべきものと考えることは、憲法全体の精神に照らし許されない』『軍事基地の公共性の程度は、民間空港と同じ』などという判断だ。」と指摘している。そして

「この見解には賛否両論があるだろうが、基地に高い公共性を認める立場の人々も、それがもたらす被害については、一部の住民にしわ寄せするのではなく、迷惑料の形で国民全体が負担すべきだという考え方には、恐らく異論はあるまい。」と述べている。

また、読売新聞は、同日付の社説で、

「いかに公共性の高い施設の近くに住んでいるとはいえ、耐え難い精神的・身体的な被害には、それを償う措置が必要だ。」と前記朝日新聞と同旨の見解を述べている。

右のような新聞報道に表われた原判決に対する評価は、昭和六一年四月九日東京高等裁判所がなした厚木基地公害訴訟の判決との比較においてであったことは明らかで、原判決の全てが妥当かつ満足すべきものであるとしたものではない。

三1 原判決が受忍限度を超えた耐え難い被害があるとし、損害賠償(後述のように問題があるにせよ)を認め、違法性を明らかにしたにもかかわらず、その原因となっている米軍機の飛行そのものは、今日現在も続けられており、そしてまた明日からもずっと続くことであろう。

これでは、上告人らが納得できるはずはないのである。

原判決が夜間飛行の差止請求を不適法としたことの不当性が、ここに端的に現われている。

原判決が夜間飛行差止請求を不適法とした法理の詳細については以下に反論するところであるが、ことに原判決が「本件における侵害行為者は横田基地を管理し、かつこれを本拠として活動している米軍であって、第三者である被告ではない」と、被上告人を「第三者」扱いにしていることは、上告人ら住民はもとより米軍基地に関心をもつ全ての国民の納得できることではない。

しかも原判決みずから「差止訴訟を提起してもその外国が応じないかぎり我が国の裁判権が及ばない」ことを認めているのであるから、結局国民は米軍による違法な夜間飛行の差止についての法的救済を受けられないことになる。

原判決が展開する法理はしょせん国民には無縁な空論というほかはない。

米軍の侵害行為を差止できるのは、基地施設を提供し、その管理権限を移譲している被告国以外にはない。国はいかに強弁しても、「第三者」とはいえない理である。国は主権国家として米軍に対し国内法令の遵守を堂々と要求できるとともに、相手が米軍であっても法令違反行為を規制できる権限をもち、国民の権利を保護する義務を持っていることは国家存立の基本であり、サンフランシスコ講和条約により独立を回復して四〇年近くたった今日言をまたないところである。

とりわけ、憲法その他の法令を適用して基本的人権を擁護すべき使命を負う司法は、この点を深く自覚すべきである。

現実に深刻な被害が存在する以上、そこに住む被害住民らの侵害行為の差止請求についての救済の道をふさぐ結果となる法理を採用すべきではない。上告人らの差止請求について、およそ裁判所の救済を求める途をふさいでしまうことは、国民に裁判所の裁判を受ける権利を保障している憲法第三二条に反するものであり、司法の使命を放棄するものである。

2 また、原判決は、一審判決と比べれば賠償額を増額し、全く効果のない防音工事による賠償額のカットもその効果のなさを認めてわずかとするなど、損害賠償の面での前進も確かにあり、その点は上告人らも評価するところであるが、それでもまだまだ不十分であるといわざるをえないのである。

なぜならば、原判決は、公共性が受忍限度論における利益衡量要素となることを前提とし、しかも公共性が受忍限度を高める要素であるとした。

しかし、公共性論については、特に損害賠償論においては、従来の公害判例・学説の趨勢からしても、いわゆる受忍限度論の利益衡量要素にはならず、かえって損害賠償の増額要素になるべきものである。

更に、上告人らに認められた賠償額は、この三〇数年の騒音による苦しみに対して多い者でもわずか一八〇万円程度の金額にすぎないのである。

上告人らの本件裁判にかけた願いは、決して基地撤去などではなく、人間として最低限の要求である「静かな夜を返せ」「夜は静かに眠りたい」ということである。そして賠償請求についていえば生じた損害の一部請求にすぎないものであり、上告人らの要求は極めてささやかなものである。

四 われわれは、最高裁判所が上告人らが以下に述べる主張に充分に耳をかたむけ、国民の健全な常識を尊重し、平和憲法の精神にそった高邁な判断を示されるよう切に期待するものである。

上告理由第一点

原判決は上告人らの訴えのうち被上告人に対して横田基地を夜間(午後九時から翌朝午前七時までの間)米軍の航空機の離着陸等に使用させることの差止請求を却下したことに対する控訴を棄却した部分は、以下に指摘する諸点において、判決に影響を及ぼすことが明らかな理由不備・経験則違反及び差止請求権に関する民法、訴訟法その他の法令解釈適用を誤り、その結果上告人等の憲法第三二条の裁判を受ける権利を侵害した憲法違反の判決である。

一 はじめに

原判決は、人格権としての生活権又は身体権に対して侵害を受けたものは、物上請求権と同質の権利として、現に行なわれている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害行為を予防するため、侵害行為差止請求権を有するとした。ところが、本件における侵害行為者は、横田基地を管理し、かつ、これを本拠として活動している米軍であって第三者である被上告人ではないと判断したうえ、本訴の請求の趣旨を三つの場合に分け、それぞれについて成立を否定した。

即ち、主位的請求の趣旨が

① 直接的に米軍の行為の停止を求める趣旨であるならば、被告は被告適格を欠くから却下されるべきである。

② 被告自身にたいして給付を求める趣旨であるならば、どのような具体的行為を求めるのか明確でなく、その点で不適法である。

③ 被告に対して求める行為が予備的請求の趣旨と同旨、即ち、直接の侵害行為者である米軍を相手方とするものでなく、かつ、又侵害行為自体を停止することを求めているものではなく、結果的に侵害行為の停止を目的とするもの(間接的差止請求権と呼んでいる)であるならば、実定法上このような権利を認めることが出来ないから、主張自体失当として棄却すると判決した。

しかし、原判決が上告人らからの訴えのうち、被上告人に対する本件差止請求を却下したことに対する控訴を棄却した部分は、以下に指摘する諸点において、判決に影響を及ぼすことが明らかな理由不備・経験則違反及び差止請求権に関する民法、訴訟法その他の法令解釈適用を誤り、その結果上告人らの憲法三二条の裁判を受ける権利を侵害した憲法違反の判決である。

二 主位的請求(包括的不作為請求)

上告人らの差止請求の主位的請求の内容は上告人らの人格権・環境権に基づいて、米軍をして、横田飛行場を、夜間航空機の離着陸に使用してはならず、かつ、上告人らの居住地において五五ホン以上の騒音となる行為をさせてはならないという包括的不作為請求である。

要するに、本件請求は、被上告人にたいして、米軍に横田基地を夜間航空機の離着陸等に使用させて、上告人らの人格権・環境権を侵害してはならないという不作為請求である。

本件訴訟のように公害その他の生活妨害の差止め請求の場合には、一定の権利や法益に対する侵害を排除(予防)する為に、相手方に具体的な侵害防止措置を講じさせる必要があることから、単に基本を為す不作為だけでなく、それを実現せしめる手段としての作為を合わせ含む包括的行動を命じなければ十分に目的を達成出来ないケースが多い。そこで、侵害防止と、侵害排除(予防)のための作為とは一体的な行動をなしており、そうした紛争の実態に即して、争いを一個の統一的な紛争として捉え、一回的且つ抜本的に解決できるように統一的(包括的)不作為請求権として構成する必要があるのである。(上村明広「不作為請求に関する一考察」末川追悼記念・法と権利3五九頁)。

三 差止請求の相手方

1 原判決は、本件における「侵害行為者は横田基地を管理し、かつ、これを本拠として活動している米軍であって、第三者である被告ではない。」としたうえで、本件差止請求の相手方は「加害者」に限られ、「第三者」である被上告人に対する請求は認められないとする。しかし、被上告人は上告人らの人格権・環境権の侵害行為者であって第三者ではなく、また本件差止請求の相手方は侵害行為者のみに限定されるわけではない点、原判決は理由不備・経験則違反及び法令解釈・適用を誤ったものである。

2 物権的請求権の法理による人格権・環境権に基づく本差止請求の相手方には「みずから物権の妨害状態を生ぜしめた者に限らずその者の支配に属する事実によって物権の侵害状態を生ぜしめている者をすべて含む(我妻栄・民法講義Ⅱ物権法二二頁)」とされ、あるいは「現在妨害状態を惹起している者もしくはその妨害状態を除去しうべき地位にある者である(好美清光・注釈民法(6)物権(1)八八頁、九八頁)。」とされる。さらに、物権的請求権の相手方となりうるか否かを、本件と同じ生活妨害の事例を使って具体的に述べれば、「たとえば不動産所有者が第三者へ妨害を及ぼすべき設備つきの不動産を賃貸し、賃借人がこの設備を利用することによって第三者を妨害するときは、現実の設備利用者はもちろんであるが、不動産所有者も自ら妨害行為をしなくても、妨害排除請求の相手方たりうるであろう。これに反し、不動産賃借人がそこへ設備を施して隣接不動産へ妨害を惹起させるときには、その行為者を請求の相手方としうるのはもちろんであるが、それと並んで不動産所有者も請求の相手方たりうるかについては疑問がある」が、「不動産借主のかかる不動産の利用方法が貸主(不動産所有者)に対する関係でも賃貸借契約等に基づき用途違反など違法な侵害行為と評価される場合には、後者も借主のかかる行為の停止を請求しうる地位にあるので、本請求権の相手方たりうる(前同八九頁)」と解されている。

3 そこで、右の事例に照らして本訴の差止請求において被上告人が差止請求権の相手方たりうるかを考察してみる。

被上告人は、横田飛行場を設置し、これを安保条約第六条等により米軍に提供して横田飛行場を使用させたばかりでなく、横田飛行場を拡張し、滑走路の延長その他基地機能が強化されれば米軍によるジェット機の大型化や頻繁な就航をもたらし騒音による侵害行為が増大することを知りながら、あえて横田飛行場周辺の民有地を買収し借上げて横田飛行場を拡張して米軍に提供し、いわゆる「思いやり予算」など漠大な資金を投じて横田基地の施設・設備を建設して米軍に提供してきたのである。

さらに、米軍は地位協定第三条第一項第一文により、横田飛行場の管理権が認められているが、これはあくまで横田飛行場内に止まるものであって同協定同項第二文および第三文により横田基地への出入については被上告人が主体であり、米軍といえども日米合同委員会を通ずる両政府間の協議により、かつ、関係国内法令の範囲内で必要な措置を執ることができるにすぎないのである(<書証番号略>、昭和三五年六月八日参議院日米安保特別委員会議事録八頁、<書証番号略>、松井鑑定書九三・九四頁)。また、米軍機といえども航空法第九七条第一項により被上告人の運輸大臣の承認がなければ、航空交通区若しくは航空交通管制圏を飛行できないのであるから、被上告人は米軍機の横田飛行場への出入及び飛行について直接に関わりを有し、米軍機の飛行を積極的に承認してきたのである。

かかる被上告人と米軍との関係をみれば、前述した前者の事例における単に「不動産所有者が第三者へ妨害を及ぼすべき設備つきの不動産を賃貸し」た場合よりも一層、被上告人は上告人らの人格権や環境権の侵害行為に加担していたことは明白であり、少なくとも後者の事例ではなく、前者の事例に該当するのであって、被上告人が「現在妨害状態を惹起している者」あるいは「その妨害状態を除去しうべき地位にある者」として、本差止請求権の相手方となることは明らかである。

4(一) 原判決は、第三者に対する差止請求を認めると契約関係に介入し、契約当事者の一方に他方に対する債務不履行をなすことを求めることになり甚しく穏当でないとしている。

しかし、何人も他人の物権や人格権・環境権の円満な状態を侵害してはならないのであって、その者が他の者と契約関係にあるからといって、人格権等の侵害が正当化されるものではない。したがって、仮に差止請求の相手方に債務不履行をなすことを求める結果となっても、本件の場合、人格権に対する侵害は重大であり、かつ、米軍に対する差止請求が求められない結果、上告人としては被上告人にその差止を求めざるを得ないのであるから、被上告人に対する差止請求は認められるべきである。

(二) まして本件は、被上告人に対して差止請求を認めても、原判決の指摘するように被上告人に米軍に対する債務不履行をなすことを求めることとはならない。すなわち、松井鑑定書(<書証番号略>)では地位協定第三条第三項について、

「地位協定第三条第一項第一文は、米軍の広範な基地管理権を認めている。同項第二文および第三文により、米軍が基地周辺でとりうる措置は関係法令の範囲内に限られるが、基地内で米軍がとる措置は、その結果が基地内にとどまる限りは、日本の法令の適用を受けないと考えられる。これに対して、米軍の措置が基地内でとられるけれども、その結果が基地外にまで及ぶ場合には、米軍は同条第三項により、公共の安全に妥当な考慮を払う義務を負う。この第三条第三項の意味は、それ自体としては必ずしも明らかではないが、地位協定の起草に際して参考とされたNATO地位協定への西独補足協定の、これに該当する第五三条第一項にてらして解釈するならば、米軍は日本の法令が要求する日本の行政当局に対する所定の手続きをふむことまでは義務づけられないとしても、それが公共の安全のために定めている基準については、これを遵守する義務を有するものと考えられる。」

と要約され、米軍といえども、公共の安全のために日本国内において定められた基準を遵守すべき義務を負っていることを明確にしている。

然るに、米軍機の飛行は、上告人ら横田飛行場周辺に居住する広範な住民に対し、騒音規制法や環境庁の環境基準を大幅に上回る激烈な騒音を暴露する等して上告人ら住民に健康被害をはじめとする重大な被害を負わせているのであるから、かかる米軍の行為は明らかに右条項に違反するものである。この条約違反の行為について、被上告人が米軍に対し侵害行為の停止を求めることになったとしても債務不履行をなすことを求めることとはならないのである。

また、2で前述した「不動産所有者も請求の相手方たりうるかについては疑問がある」とされた後者の事例でさえ、「借主」の利用方法が「貸主」に対する関係でも賃貸借契約等に基づき違法な侵害行為と評価される場合には「貸主」が本請求権の相手方たりうるとされているのであるから、まして本件において被上告人が差止請求権の相手方となることは明らかである。

(三) 原判決は、右の理由に続いて( )書きでカラオケ騒音や工場騒音の事例と電力会社の事例を掲げているので、これについて付言すると、先ず前者の事例については、賃貸人がカラオケ等の設備つきで賃貸した場合には正に前記2の前者の事例に合致し、賃貸人に対する差止請求を認めるべきであり、また、賃貸人が建物だけを賃貸したものでカラオケ等の騒音を惹起する設備は賃借人が設置したものである場合には賃貸人に対する差止請求は当然には認められるものではない。ただ、この事例では、「隣家の住人に対して立退を要求するよう請求する権利」を問題にしているが、本訴において上告人らは何も米軍を横田基地から撤去することを求めているものではなく、事案を異にする。

次に電力会社の事例についていえば、上告人らの便益供与の主張に対して掲げられたものかもしれないが、被上告人と米軍との関係は電力会社と民家との関係とはおよそ異なるものであることは明らかであり、かかる事例を持ち出すことは原判決の本件請求に対する無理解を示すものにほかならない。

四 差止請求の内容

1 上告人らは被上告人にたいして、人格権・環境権にもとづき、物権的請求権と同質の侵害行為の差止請求権の行使として主位的請求の趣旨の請求をしているものである。

物権的請求権とは物権の内容を完全に実現することがなんらかの事情によって妨げられている場合に、その妨害を生ぜしめる地位にある者に対して、その妨害を除去し物権内容の完全な実現を可能ならしめる行為を請求することである(我妻・民法講義2物権法二〇頁)。このように、物権的請求権は「妨害」を「除去」して、物権の円満な状態の回復を目的とした請求権であって、必ずしも「直接の侵害行為の排除」だけを内容とするものではない。

ここで云う「妨害」とは、物権(人格権・環境権)のあるべき状態に抵触する継続的妨害状態をさす。本件で云えば上告人らが米軍の航空機の横田基地への離着陸等によって発生する騒音によって人格権・環境権が侵害されている状態である。従って、本件差止め請求は横田基地における航空機の騒音によって惹起された人格権・環境権の妨害状態を排除(予防)して上告人らの人格権・環境権の円満な状態の回復を求めたものである。

2 ところが、原判決は、上告人らの主位的請求が原判決が整理した予備的請求と同旨であるならば「間接的差止請求権」と呼ぶべきものであると判断して、物権的請求権は「直接の侵害行為の排除」を認めたものであって、上告人らが主張する間接的差止請求を認めたものではないから実定法上の根拠を有せず主張自体失当であるとした。

しかし、人格権(環境権)による物権的請求権は、人格権の妨害状態を除去し、人格権の内容の完全な実現を可能ならしめる全ての行為を請求する事が認められている。直接の侵害行為の停止で人格権の完全な実現が可能となることは多い。しかし、それだけではなく、差止請求の相手方が直接の侵害行為はしていないが、人格権の妨害状態を惹起しているか、もしくは妨害状態を除去しうる立場である場合は、直接の侵害行為はしていないから侵害行為の停止は求められず、他の方法による人格権の妨害状態の除去を請求することが出来なければならない。その方法としては、原判決が、自ら物権の妨害状態を生ぜしめたものに限らず、「その者の支配に属する事実によって物権の侵害状態を生ぜしめている者」に対しても物権的請求権としての差止請求が出来るとした事例を参考にして考えることとする。

第三者がA地の土砂を取ったため隣接するB地が崩壊しかかったときにおけるB地の所有者がA地の所有者に対して請求できる内容を考えてみれば分かる。B地の所有者はA地の所有者に土砂を取ることの行為の停止を求める請求は、A地所有者は侵害行為をしていないから認められない。従って、A地の所有者に対しては崩壊する危険のあるB地の保全の為の擁壁や石垣の設置等を請求する事もできるし、第三者が土砂の採取を継続する場合は、第三者に侵害行為の停止をさせるようA地の所有者に請求することも認められなければ、B地の所有権の完全な状態は回復維持されない。

この場合、B地の所有者は侵害行為をしている第三者に直接侵害行為の停止を請求することで解決できるからA地の所有者にまで第三者の侵害行為の停止を実現することを認める必要はないであろう。この点を取り上げて、原判決は物権的請求権たる差止請求権は直接の加害者に対して侵害行為の停止をもとめる侵害行為差止請求権を認めることが最も有効適切であり、それで十分であり、間接的差止請求権は救済方法としては間接的で不十分であり、不必要であるとして認めなかった。

しかし、本件では直接の侵害行為者たる米軍に対しては侵害行為の停止を求める訴訟を提起しても米国が応訴しない限り認められない以上、妨害状態を惹起しもしくは除去しうる立場にある被上告人に対して米軍の侵害行為の停止を実現するための行為を求める原判決のいう間接的差止め請求を認める以外上告人らが受けている妨害状態を救済する方法はなく、このような原判決のいう間接的差止請求権を認める必要性は明白である。

3 次に、原判決が「右請求の趣旨が被告自身に対して給付を求める趣旨であるならば、どのような具体的行為を求めるのか明確でなく、その点で不適法である」と判断しているので、本差止請求において被上告人の米軍に対する具体的行為を特定することが必要であるかについて次に論ずる。

本差止請求は前述したように包括的不作為請求であり、この請求には単に基本をなす不作為だけでなく、それを実現せしめる手段としての作為を併せ含むものであるが、この作為について具体的行為を請求の趣旨において特定する必要はない。

即ち、生活妨害における侵害行為の発生地点は、すべて加害者の支配領域にあり、しかもその侵害行為の発生メカニズムは複雑で、到底被害者がこれを確知することはできない。また、被上告人が請求の目的を実現する方法、すなわち侵害行為の防止手段も被上告人と米軍あるいは合衆国の間の複雑な関係において種々の防止手段が考えられる(これまで上告人が米軍の行為を停止させるための方法として主張した飛行計画の不承認、便益供与の停止、日米合同委員会での協議または外交交渉等はその一例をあげただけで、これに限られるものでないことは勿論である。)が、被害者たる上告人らがこの防止手段のすべてを確知することは到底不可能であり、被上告人こそどのような防止手段があり、またどの防止手段が最も有効かつ適切であるかを知っている。一方被害者である上告人らにとっては人格権・環境権侵害の排除という目的が実現されればよいのであって、その目的達成の防止手段がいかなる具体的行為であるか特定する必要はない。他方、被上告人としても、防止手段を十分に確知しえない上告人らの請求によって特定の防止手段に限定されてしまうよりも、自ら選択により最も有効かつ適切な手段を選択した方がよい筈である。したがって、いかなる防止手段を講ずれば侵害を排除できるか容易に確知できる場合ならばともかく、本件のような生活妨害の包括的不作為請求においては、上告人らの人格権・環境権侵害を停止するために被上告人がどのような防止手段をとるかは被上告人の選択の自由に任されているのであって、請求の趣旨において被上告人の防止手段を具体的に特定する必要はない。

五 環境権を否定した誤り

1 原判決は、環境権について、その存在を実定法・慣習法及び判例法上もその根拠を欠き承認出来ない旨、並びに環境権を承認できないとしても標準的な意味での良い環境の確保は人格権その他の私権を認めることで十分に実現できる筈である旨を判示し、その結果、上告人ら住民が蒙っている環境破壊に関する被害事実を本訴訟における被害として認定することをことごとく否定するに至っている。

しかしながら、環境権は実定法上の根拠を有し、かつ、判例法上も民事および行政上の環境訴訟においてその存在を承認されてきており、原判決が憲法および民法その他の法令の解釈を誤ったものであり、これらの各誤りが判決に影響を及ぼすものであることは明らかである。

以下、論を分かって主張する。

2 環境権の実定法及び判例法上の根拠と内容

(一) 実定法上の根拠と内容

人間は広範囲に連続する自然環境の中で生きており、かつ、良き社会的・文化的環境のなかでのみ真に人間的に育まれる。そこに「良き環境を享受し、かつ、支配する権利」としての環境権が認められる所以がある。

環境権の実定法上の根拠は、生命・自由及び幸福追求の権利を保障する憲法第一三条及び生存権を保障する同第二五条である。

右の規定は、包括的な人権保護規定であり、具体的な利益を保護して行く根拠規定なのである。

現判決は国の施策の基本方針を定めたいわゆる綱領規定であるから直接的な私法上の権利は生じないと解すべきであると判断するが、憲法の条項を根拠に国民の具体的権利を認めることは、十分可能であり、判例法上も確立している。即ち、海外渡航の自由と旅券発給に関する最高裁昭和三三年九月一〇日大法廷判決において、田中耕太郎、下飯坂潤夫両裁判官は、「憲法は基本的人権や自由を網羅的に規定したものではない。海外旅行の自由は、一般的自由乃至幸福追求の権利(憲法一三条)の一部をなしている。」と述べている。また、写真撮影と肖像権に関する最高裁昭和四四年一二月二四日大法廷判決は、「憲法第一三条は、……個人の私生活上の自由の一つとして、みだりにその容貌……を撮影されない自由を有する。」と述べている。さらに、憲法第二五条については、単に国政運営に指針を示すプログラム規定と解し、如何なる意味においても、法的権利を保障するものではないと解するのは不当である。学界においても同条を法的な権利であり、国はそれに対応する生活保障の給付を成すべき立法並びに国政上の諸措置実現の法的義務を負うとする法的権利説や、「要救済状態」が生じているのに国民が放置されている場合は、国民は、さらに具体的に右状態の是正を請求できるとする具体的権利説が有力となりつつある。

また仮に、憲法第一三条及び同第二五条が、綱領規定であるとしても、憲法は、私法的価値の基準となり、かつ、実定法規の解釈の指標となるものである。したがって、民法第七一〇条、同第七〇九条は、憲法第一三条及び同第二五条を指標として解釈すべきであるから、民法第七〇九条及び同第七一〇条が、環境的利益を権利として保護していることは明らかである。

(二) 判例法上の根拠

判決は、環境権について慣習法上または判例法上も認める余地がないと判示するが、判例においても以下のとおり、環境権的発想を示すものが増加しつつある。即ち、行政処分の取り消し訴訟の原告適格または執行停止の申請人適格の肯定例として、①国立歩道橋事件(東京地決昭和四五年一〇月一四日行裁集二一巻一〇号一一八三ページ)②用途地域指定処分事件(宇都宮地判昭和五〇年一〇月一四日判時七九六号三一ページ)③結核病院開設許可事件(広島地判昭和五二年三月一〇日判時八四四号一七ページ)環境悪化等を理由とする行政処分取消請求の認容例として、公有水面埋立に関する臼杵事件(大分地判昭和四六年七月二〇日判時六三八号三六ページ)環境悪化を理由の民事訴訟で差止請求権を認容した例として①吉田町し尿、ごみ処理場事件判決(広島高判昭和四八年二月一四日)②和泉市火葬場決定(大阪地裁岸和田支部昭和四七年四月一日)③牛深し尿処理場事件判決(熊本地判昭和五〇年二月二七日下民集二六巻一―四号二一三ページ)などがある。

(三) 以上原審においてもすでに詳述したとおり、環境権は、実定法的根拠もあり、判例法上も次第に定着してきているのであるから、環境権に法的根拠がないとする原判決は、法令解釈の誤りをおかしている。

3 環境権の存在意義について

原判決は、「標準的な意味での良い環境の確保は、前記の人格権その他の私権を認めることで十分実現することができる筈である……。」と述べている。しかし、右は不当である。なぜなら、人間をとりまく自然的環境は広範囲に連関し、その汚染・破壊はほとんど不可逆的である。従って、人格権その他の私権では救済されないより広範にわたる環境自体の汚染に対しこれを直接排除し、その環境を共有する住民に総有的に属する権利である環境権を認めることが必要なのである。このような環境権を確立することによって、まず住民の生命・健康・快適な生活に具体的な被害が発生したり、その危険が迫ってくる前段階すなわち環境汚染の段階で加害行為の違法性を追及しこれをくいとめることが可能であるばかりでなく、さらにすすんで環境汚染をその危険から防止することが可能となるのである。また、個々の住民の権利侵害とあわせて地域的にひろがりを持つ環境破壊の違法性を追及することが容易となるのであって環境権は住民の生活を守る重要な権利である。

したがって、人格権その他の私権を認めることで、良い環境の確保ができるとする判断は誤りである。

六 予備的請求についての判断の誤り

1 主位的請求と予備的請求のちがい

上告人らが原審において主張した予備的請求は、その主位的請求とは内容を異にしている。

上告人らが本件差止請求において実現をめざした究極の目的は、一日の疲労を癒し明日への活力を養うためのくつろぎと休息、睡眠のための時間帯である夜間九時から翌朝七時までの間、上告人らが航空機騒音の影響から免がれ平穏な生活を確保することであった。このため主位的請求にあっては、被上告人に対し、飛行音については端的に右時間帯における米軍の飛行禁止を求め、地上音については五五ホン以上の差止を求めているのに対し、予備的請求にあっては、それが認められない場合、米軍への働きかけであると被上告人独自でとり得る対策の実施であるとを問わず、右時間帯において被上告人に対し、一定限度以上の騒音(飛行音については五〇デシベル(A)、地上音については五五デシベル(C))の差止を求めているのである。また一定限度以上の騒音の差止を求めている場合にあっても、主位的請求においては上告人らの家屋外(居住地)であるのに対し予備的請求においては家屋内における実現を求めているのである。

両請求はいずれも環境権・人格権侵害から救済された結果の実現をめざす包括的不作為請求であるが、上告人らは原審において予備的請求実現の手段・方法について次のとおり例示的に主張してきた。

(一) 米軍への働きかけ

(1) 差止請求時間帯の飛行の中止(2)全面的中止が不可能であれば、夜九時台・朝六時台の飛行制限、差止時間帯に限ってC五Aギャラクシー、C一四一スターリフターなど大型ジェット輸送機の飛行禁止あるいはこれらのB七四七、DC一〇など低騒音機への代替など。

(二) 被上告人独自で可能な方策

(1) 航空法第九六条、九七条に基づく運輸大臣の権限に由り飛行の時間規制、機種等の規制

(2) 防音林、防音堤、防音壁の設置

(3) 民家防音工事の改善、充実

これらの手段、方法のうち米軍への働きかけ及び航空法によって米軍機の飛行等の活動停止を求める部分は主位的請求に基づく規制請求と同一でそれに吸収されることとなり、それ以外が予備的請求である。そして上告人らが予備的請求で最も強調したのは、被上告人が米軍への働きかけをしないで独自に採り得る前記(二)の手段、とりわけその(2)、(3)などの固有の手段、対策を採ることによって屋内において五五デシベル(C)(地上音)、五〇デシベル(A)(飛行音)未満という静穏な状態が実現できるということであった。

2 原判決には、予備的請求につき判断遺脱・理由不備の違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

ところが原判決は、上告人らの右予備的請求を正確に理解しなかったため、被上告人を本件侵害行為の加害者ではなく第三者と誤認したことと相まって、予備的請求につては一切判断していない。

原判決は次のようにいう。

「原告らは、当審において、予備的請求を追加し、差止請求の内容として、被告が米軍に対して米軍の侵害行為を停止させるのに有効な作為又は不作為、例えば、飛行計画の不承認、便益供与の停止、日米合同委員会における協議又はその他の外交々渉等を行うことを求めている。」として主位的請求である米軍への働きかけに触れるだけである。

原判決は、予備的請求に関するその余の判示部分においても防音堤の設置や民家防音工事の改善、充実等被上告人のみで独自に実施できる対策について一切言及していない。

そればかりか、右の意味での予備的請求が認められない旨を判示したあと、被害者救済のために種々の国内立法があり得るとして、生活環境整備法が各種の補償請求権を認めている点に言及しているところ、右法律に防音林・防音堤の設置や民家防音工事の実施とその法的根拠が明瞭に定められているにもかかわらず、原判決は平然と「右の法律又はその他の法律中に、原告らの求めるような被告に対する間接的差止請求権を認めた規定を見出すことはできない。」と判示しているのである。

原審の判断においては、上告人らの予備的請求が米軍とは関係なく被上告人が独自に採り得る対策であることが完全に忘れ去られ、その点の判断が脱漏しているのである。

原判決が予備的請求を正確に理解していたならば、原告らの主張する屋内における航空機騒音の程度が人格権を侵害するか否か等を必ず判断しなければならず、右判断遺脱・理由不備の違法は原判決に影響を及ぼすことが明らかである。

3 仮に、原判決に右判断の遺脱がないとしても原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな生活環境整備法の法令解釈を誤った違法がある。

原判決の判示は必ずしも明瞭でないが、仮に原判決のいう「間接的差止請求権」の中に、被上告人が独自に採り得る対策に基づく予備的請求も含まれているとしよう。

原判決は、右間接的差止請求権について、共同不法行為によっても物権的請求権によっても右予備的請求は認められないとした。

しかし一方、被害者救済のために、国内的に種々の立法がなされることはあり得、その場合には、法の定める要件の下に救済手段が与えられると判示している。

そして上告人らは予備的請求において、人格権に基づいて、その侵害状態の排除又は予防として、屋内に五五デシベル(C)又は五〇デシベル(A)以上の航空機騒音を到達させないよう求めた。先に述べたように、被上告人が本件横田基地周辺において防音林や防音堤、防音壁を設置し、同時に民家防音工事の抜本的な改善、充実を図るならば、上告人らの居住家屋内において右の程度に騒音を軽減することは充分可能である。

被上告人は生活環境整備法において、本件横田基地周辺における航空機騒音に起因する障害を防止し生活環境を改善するため防音林等を設置するもの(同第六条)と定められ又民家防音工事を行うもの(同第四条)と定められている。

同法は、民家防音工事について住民らの補償請求権を認め工事の内容については政令で定める旨規定しているが、工事の手法、実態等から判断して実質的に被害住民らに民家防音工事請求権を認めたものである。

そして前述のとおり被上告人は本件航空機騒音による侵害行為の加害者であり上告人らは人格権に基づき被上告人に対し、その侵害状態の排除ないし予防を請求できる。

したがって上告人らに対しては、被上告人に対し生活環境整備法に基づき予備的差止請求が認められるべきである。

ところが原判決は、生活環境整備法の解釈を誤り同法の中にも上告人らの予備的差止請求権を認めた規定を見い出すことはできない旨、誤って判示した。

原判決の右法令解釈の誤りは原判決に影響を及ぼすことは明らかである。

七 まとめ

以上原判決は上告人らの人格権を物権的請求権と同質の権利として、侵害行為を排除し将来の侵害を防止するための差止請求権を有すると判断しながら、被上告人に対する差止請求に対しては、侵害行為者に対する直接の侵害行為の排除(予防)請求しか認められないものであると、本来の物権的請求権の解釈より狭く誤って解釈した結果、被上告人は侵害行為者でなく第三者であり被告適格を有しないとか、間接的差止請求は実定法上の根拠を有しないなどと述べて、結局は上告人らの差止請求を否定したものである。

このような原判決の結論は、米軍による国民に対する人権侵害に対する救済の道を塞ぎ、単に被上告人の賠償責任のみを認めたものにすぎない。

国民は等しく憲法三二条によって人権の侵害に対してその侵害の排除と、将来の侵害の防止の為に裁判所の救済を求めることが出来る。しかるに原判決も認めるように米軍に対する訴訟は米国が応訴しないかぎり成立しないのであるから、被上告人に対する、米軍の侵害行為の停止を求める請求が認められないと、米軍による国民の人権侵害は野放しになり結局米軍は治外法権になる。このようなことが主権国家で許されるはずがない。米軍が日本国民の生命や身体をおびやかすような危険な演習や実験(例えば毒ガス実験等)や核持込を基地で行なって周辺住民に危害が生じた場合でも被上告人に米軍の行為の規制を求めることが認められないとすれば、もはや日本は主権国家といえない。

このような誤った結果をもたらす原判決は憲法三二条に違反し、法令の解釈適用を誤り、その誤りは判決に影響することは明白である。

上告理由第二点

原判決の被害認定は、以下のとおり最高裁判所判例違反・経験則違反・理由齟齬・理由不備の違法があり、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一 原判決の被害認定

1 原判決は、航空機騒音による上告人らの被害に関し、一審判決の被害認定部分を引用したうえ、①精神的被害について、「航空機騒音は一定限度を越えると日常生活を営む人すべてに対して焦そう感や不安感等の精神的被害を与えるものであり、騒音の程度が高まるに従って被害の程度も大きくなるものであり、本件の場合も例外ではない。このことは経験則の示すところでもある。」と判示し、

②睡眠妨害について、「周辺住民が年間を通じて連夜平均一回以上の航空機騒音にさらされている……このことは毎晩一回は必ず爆音によって睡眠が妨げられる可能性があることを意味し、保健上極めて有害なことはいうまでもない。……上告人ら住民にとって夜間の安眠を妨害する航空機の騒音は依然として決して楽観の許されない状態が続いている。」と判示し、

③その他の生活妨害について、会話、電話の聴取妨害等、思考、読書等の知的作業に及ぼす影響等の被害を認定し、

上告人らが「生活権」について相当程度の被害を受けていることをみとめた。

2 しかしながら、原判決は、④身体的被害については、難聴、耳鳴り、高血圧等の発生、憎悪の客観的可能性を認めた一審判決を引用しつつ、「上告人らの一部について身体的被害発生の可能性ないし危険性を認めることができるが、それだけでは現実の被害と言えず、又上告人ら全部についての共通被害と言えないので、『身体権』については具体的な被害を認めることができない。」と判示し、上告人らの身体的被害を認定しなかった。さらに、⑤環境破壊については環境権を否定したことによって、「いずれも本件航空機騒音等に対する慰謝料の請求原因事実として考慮することのできない事情であり、主張自体失当である。」と判示して認定の対象から排斥した。

二 航空機騒音被害の特質

1 原判決は、前記のように、精神的被害、睡眠妨害、生活妨害については上告人らが深刻な被害をうけていることを認めたが、身体的被害だけは認定しなかった。

しかし、大阪空港事件控訴審判決(大阪高裁昭和五〇・一一・二七)が判示するように、航空機騒音被害は、「精神的被害を中心として、ある被害がさらに他の被害を引き起こしあるいは増大させる等相互に影響しあって、複雑かつ深刻なものとなる特質を有する。」のである。同事件最高裁大法廷判決(昭和五六年一二月一六日)も、「人が相当強大な航空機騒音に暴露される場合、これによる影響は、生理的、心理的、精神的なそればかりでなく、日常生活における諸般の生活妨害等にも及びうる。……航空機騒音の影響による各種被害の間にはその性質上相互に影響しあう関係があるとする原審の見解は根拠のないものということはできない。」と右判断を支持している。

2 原判決が被害認定において、精神的被害、睡眠妨害、生活妨害の深刻さを認めたことは高く評価される。しかし、深刻な精神的被害や睡眠妨害、生活妨害だけが発生して身体的被害を全く生じないなどということは、医学的にも、経験則上もありえないことである。

このことはWHOの「健康」の定義からも明らかであるし、長田泰公国立公衆衛生院院長ら騒音被害の専門家が等しく強調するところである。

原判決自身、精神的被害について、カール・クライター博士の、空港周辺住民の六〇%が航空機騒音について恐怖を感じる等の調査結果を報告したうえ、心理学的には恐怖は不安の最大の源であり、「生理学的ストレス」(当然身体的被害に該当する)の原因になりうると述べた事実を認定しており、更に、上告人らの睡眠妨害について、毎晩一回は必ず爆音によって睡眠が妨げられる可能性があって、「保健上極めて有害なことは言うまでもない」と、深刻な睡眠妨害が身体的被害につながることを認めているのである。

3 日常的に恐怖に襲われ、毎晩睡眠妨害に悩まされる上告人らが、身体については全く被害を受けないということがありえないことは、経験則からも容易に理解できることであるにもかかわらず、身体的被害のみを他の被害から切り離してこれを認定しなかった原判決には矛盾があり、理由齟齬・理由不備・経験則違反の違法があると言わざるを得ない。

三 共通損害としてのストレス等生理的被害

1 原判決が上告人らの身体的被害の認定をしなかった理由は、結局①身体的被害発生の「可能性ないし危険性」のみでは現実の被害とは言えないこと ②上告人らの「一部」の者だけにかかる可能性ないし危険性が認められても、上告人ら全員についての共通被害とは言えないこと の二点である。

2 しかしながら、これらの点については、前記大阪空港事件最高裁大法廷判決(昭和五六年一二月一六日)が、「控訴審判決は身体的被害発生の可能性ないし危険性そのものを被害と認めているかに見えるが、かかる可能性ないし危険性を帯有するストレス等の生理的、心理的現象をもって慰謝料請求権の発生原因たる被害と認めた趣旨であると解すことができる。」と判示し、右事件控訴審判決が同事件原告らについて身体的被害の発生ないし憎悪の可能性等を認定した趣旨は、被害発生等の抽象的な可能性ないし危険性の存在を認めた趣旨ではなく、爆音の下でいつ身体的被害が顕在化するかもしれない状況で生活することをよぎなくされている。同事件原告らすべてが、難聴、高血圧等の身体的被害に連なる可能性を持つストレス等の生理的、心理的被害をひとしく現実に受けていることを認定して慰謝料請求を認めた趣旨である、と正しく解釈した。

3 原判決は、上告人らが、大阪空港事件原告らと同レベルの、受忍限度を越えた騒音にさらされていることを認め、更に前記のように、身体的被害発生ないし憎悪の危険性まで認定したうえで、一審判決の認めた賠償額を大幅に引き上げた。

4 原判決は、右のとおり、上告人らが大阪空港事件原告らと同様、日常的に九〇〜一〇〇ホンの爆音にさらされている被害状況下にあることを認めたのであるから、精神的被害を中心として発生し、深刻化するに伴い身体的被害に発展する前記航空機騒音被害の特質、及び身体的被害が疾病のみに限定されるものではなく、連続的、段階的に健康が悪化していくものであることを十分考慮し、上告人ら全員が、いつ身体的被害を生じるかわからない強いストレス等の生理的、心理的被害を現実に受けていることに着目し、前記最高裁判決と同じく、かかる意味の身体的被害を認定すべきであったのである。

原判決が、身体的被害が顕在化している者が上告人全員ではなく一部の者だけである点にこだわって、その共通被害性を否定したのは大きな誤りである。原判決には、この点で前記最高裁判決違反及び経験則違反の違法がある。

四 他原因との協働、身体的被害の憎悪

1 原判決は一部の上告人らが高血圧等の疾病で治療を受けていることを認めたが、これらの疾病が「航空機騒音により発症したものである」とまでは認めがたい、として航空機騒音との因果関係を認めなかった。しかし、医学的にこれら疾病が航空機騒音によって発生したことを証明することは、右疾病の非特異的性格から不可能である。国の損害賠償責任が認められるためには、他の原因と協働して航空機騒音も原因の一つであることが否定できないこと、一審判決が認定した工藤荒五郎の場合のように、航空機騒音が右疾病を憎悪させていることが認定されれば十分であり、上告人らが暴露されている航空機騒音の高さからすれば、右事実は経験則上十分認定できるのである。

2 この点も大阪空港事件控訴審判決(大阪高裁昭和五〇・一一・二七)が、「原告らの健康被害について航空機騒音が一因となっていることを否定できず、又そう認めることをもって足りるものとすべきである。」と明確に判断し、前記の同事件最高裁判決も、「航空機騒音の特質及びこれが人体に及ぼす影響の特殊性、並びにこれに関する科学的解明が未だ十分に進んでない状況に鑑みるときは、原審が身体的被害につき右騒音等がその原因の一つとなっている可能性があるとした認定判断は、経験則に違背する不合理な認定判断として排斥されるべきものとはいえない。」と述べて控訴審判決を支持した。

3 従って、上告人らの身体的被害について、航空機騒音との個別的な因果関係が認められない、とした原判決は前記判例に違反している。

以上のとおり、上告人らの身体的被害の認定をしなかった原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな判例違反・経験則違反・理由齟齬・理由不備の違法がある。

五 原判決が環境権を否定したことにより認定しなかった被害事実

1 原判決は、人格権としての生活権又は身体権に基づく請求を基礎づける事実については、身体的被害を除いて、精神的被害、睡眠妨害その他の生活妨害などほぼ全ての被害にわたって、上告人の主張するところを積極的に認定し、その結果を損害賠償に反映させている。

その反面、環境権を否定したことの効果として、上告人らの居住地域の環境破壊に関する事実については、「いずれも本件航空機騒音等に対する慰謝料の請求原因事実として考慮することのできない事情であり、主張自体失当である」と判示して、認定の対象たる事実から排斥した。

2 原判決が環境権を否定したことにより認定しなかった被害事実は、上告人らが本訴訟の一審最終準備書面の「第五 環境の破壊」の項において明らかにした被害事実のほぼ全域にわたっている。原判決が認定しなかった環境破壊に関する事実について、一審最終準備書面を補足する意味で、その本質的な部分を明らかにすると次の通りである。

(一) すなわち、まず教育環境の破壊である。

原判決は、その理由中の「第三 四(二) 思考、読書、家庭における学習その他の知的作業に及ぼす影響」の項に於て、上告人らの蒙っている被害として、航空機騒音が思考、読書、学習その他の知的作業に及ぼす影響は経験則のうえからこれを認定できる旨を判旨している。しかし、教育環境の被害の内容として把握される被害はこれとは明らかに別個かつ重要な被害である。

とりわけ学校教育に対する影響は、原判決が認定した個別的被害としての子弟たる各個人の受ける影響ないしその単純な総和としては計ることの出来ない別個な被害である。何故なら、学校教育とは正に集団として学習することにより、集団として学習効果を享受して集団全体の学習レベルが向上していくところに個人学習たる家庭学習と異なる意義があるのであって、その影響たるや各子弟が個別に受ける学習の影響の単純な総和としては計り知ることのできない複合的被害であると言わなければならないからである。

(二) つぎに、都市環境の破壊である。

この点に関しては、原判決は、その理由中の「第三 四 (四) 交通事故の危険」のみを被害事実として認定し、都市環境の破壊自体を被害としては全く認定しなかった。

しかしながら、上告人らが本訴訟の一審最終準備書面の「第五 二 都市環境の破壊」の項においても明らかにしたとおり、都市環境の破壊の内容をなす被害事実としては、自治体財政への負担、交通の阻害と軍事運送の危険、および瑞穂町および昭島市に典型的にみられる都市開発の阻害と環境破壊の具体的被害、等々の各被害の複合した正に都市環境破壊そのものである。上告人ら被害住民もまた文化的・社会的存在である「人間」として地域社会の中で生活しているのであって、これらの都市環境破壊が極めて重要な「生活妨害」上の被害であることは経験則上からも明らかである。しかるに原判決は、騒音による個別被害としての生活妨害を被害として認定しながら、個別被害の枠を越える重要な文化的・環境的な生活妨害である都市環境の破壊自体は被害事実として認定していない。この点についての原判決の違法性もまた明白である。

(三) 生活環境の破壊

この点に関しては、上告人らが本訴訟の一審最終準備書面の「第五 三生活環境の破壊」の項において明らかにしたとおり、商店街の消失による日常生活上の不便と道路環境の阻害による不便とがあるが、これら生活環境の破壊を被害事実として認定していない原判決の違法性は明白である。

3 原判決は、環境権を否定することに急なあまり、これら上告人ら居住地域の環境破壊に関する事実については、いずれも主張自体失当である旨と判旨して、認定の対象たる事実から排斥したことは前述の通りである。

しかしながら、これら上告人ら居住地域の環境破壊に関する被害事実について、本訴訟の一審判決は、「生活環境の悪化自体を被害として把握し、これにより蒙る精神的苦痛に対する慰謝料の請求をなし得るものと解する」と判旨して、不充分ながらも右教育環境の破壊と生活環境の破壊についてはその一部を上告人らの蒙っている被害事実と認定した。これをもって環境権を認めたものと評し得るか否かは別として、仮に環境権自体を法的権利として正式に承認できないとしても、少なくとも本訴訟の一審判決が判旨した程度の生活環境の悪化自体については、人格権侵害の被害としても充分に把握すること可能なものであることを付言するものである。

よって、環境権を認めると否とに拘らず、これら上告人ら居住地域の環境破壊に関する事実を被害事実として原判決が認定しなかったことは、それ自体が被害の認定についての重要な経験則違背に該ることも明白である、と言わなければならない。

上告理由第三点

原判決は、上告人らの訴えのうち違法性と受忍限度に関する部分は、以下に指摘する諸点において、経験則違反・理由不備・理由齟齬及び憲法及び法令の解釈、適用を誤り、判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一 公共性論に関する判断適用について

原判決は違法性(とりわけ損害賠償)の判断とその適用にあたり本件横田基地の国防上の公共性について、憲法前文九条その他の平和条項を中心とする憲法条項乃至はその全精神の解釈適用を誤り、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈、適用の誤りをおかしている。

1 原判決に示された軍事公共性概念の把握とその適用は憲法及び法令の解釈を誤ってなされたもので判決に影響を及ぼすことが明らかである。

(一) 侵害行為の主体が公共性を有するからといって、これを受忍限度の判断要素とすることは誤りである。

第一にすなわち原判決は「騒音は単純な物理現象であって騒音自体に公共性があるものとないものとの区別がある筈もなく、侵害行為としては航空機騒音も工場騒音等々も同一視されるべきもの」という。そうとすれば仮に被害の「受忍限度」を認めるとしてもその拡張要素として「公共性」を持ち出すこと自体認められるべきでないことになろう。

仮に受忍限度論を認めるとしてもそこにおいて問題とする事があるとすれば、騒音の大小、高低等であり、それによって生ずる被害の大小と性質だけである。

従って公共性の有無程度は、受忍限度論を前提として考えるとしても、被害の受忍限度を決定するについてはおよそ論理的にもまた事柄の物理的性質からしても無関係かつ本質的に馴染まないものなのである。

第二にそもそも軍事基地に限らず、公共施設の公共性の問題は、本来的に被害住民に対して持ち出すべき問題ではないのである。

まず当該施設が公共性を具え、その公共性が高いというのであれば、それは国民全体がその恩恵を受けていると言うことである。したがって、そこに生ずる危険と損害の発生はなるべく少なくし、仮に損害が生じた場合は、その被害を負担しないで恩恵だけを受ける立場にある他の国民がこれを負担すべきは当然である。国は被害住民以外の国民に代わって損害の発生を防止し又生じた損害の賠償をなすべき責務を負っている。

横田基地が公共性を有するということは、その存在によって等しくその平穏な生活を守られているとされるからであろう。

従ってその存在価値の分量を各人につき一と仮定すれば上告人ら住民についてもその受ける恩恵は一である筈である。しかしながらこれは上告人らが横田基地の被害を受けていなければの話である。被害を受けている結果、右の恩恵は1/2となり或は皆無となってしまう。従って被害の発生を防止し、発生した損害を賠償するということは横田基地周辺住民が基地被害を何ら受けないで恩恵のみを享受している国民一人一人と等しい受益者の立場に引き上げるための努力だということになろう。このような場合公共性を持ち出して受忍義務を云々すること自体論理矛盾であることは明らかである。

そうとすればそこに生じた被害は全部救済されるべきである。

そうでなければ横田基地の公共性すなわち存在価値は上告人ら住民にとって相変らず一以下であり冷遇は改善されないままである。このように考えると公共性を受忍限度の判断要素とした原判決はその適用を誤ったものであり違法性判断を誤ったものとして法令の解釈適用を誤る結果となっている。

第三に公共性論が賠償違法の阻却要素となりえないことは多言を要しない。損害賠償を支払ったところで横田基地の機能や存在価値を少しも損ねないからである。

にもかかわらず原判決は賠償違法の評価において公共性を受忍限度の判断要素とした点は右第一と二同様の違法を犯している。

(二) そもそも公共性といい、公益性といいその言葉の持つ意味は、価値評価の問題である。そしてそこでは価値評価の順序として加害行為の主体が有する設置目的に関する公共性の有無とその程度が第一番目に問題となる。

第二番目には右設置目的を実現し、その為に運用される当該施設の存在目的に対する有効性(目的整合性)が問題となる。

第三にそこで行なわれている具体的運用実態に関する価値評価が問われなければならない。この点についてもすでに上告人ら住民は原審において詳細に主張を述べた。仮に公共性論を受忍限度の一要素と考えるとしてもその概念把握は論理的かつ十分なものでなければならない。

ところが原判決は、このような段階的論理的分析を一切無視した上、横田基地の公共性について「横田飛行場は米軍の管理下にあるが我が国の国防上の全組織の一部を成す軍事施設である」ことから当然に「国防上の公共性を有している」ものと断定した。

これでは仮に右判決のいう如く「行為の主体が公共性を有し侵害行為が公益のためになされた場合は、私権はそれによる被害をある程度我慢することが必要である」との前提に立つとしてもあまりにも公共性の理解が不正確に過ぎるものといわざるを得ない。

第一の「目的の公共性」についていえば横田基地の設置目的である戦争遂行という点についてはどう考えるのか。全く不明のままである。

原審において、この点については上告人ら住民は詳細にわたってその見解を述べておいた。

すなわち、横田基地の公共性についていえば、第一にその設置目的である戦争遂行すなわち戦争という国家行為に関する価値評価が定まらなければ、それが有する公共性すなわち価値評価は決定できないものなのであって、この点を抜きにして国防目的即公共性ありとするが如き認定の仕方は問題の本質をすりかえるものにすぎないといわざるを得ないという点である。

これをさらに具体的にいうならば、例えば大阪空港或は成田空港における設置目的は運輸交通目的であり、軍事基地の設置目的は戦争遂行であることは自明の理であってこれら民間空港の公共性と軍事空港横田の公共性を比較するに際しては戦争と運輸交通の有する価値評価をせねば話にならないのである。

ここで注意しなければならないことは、国防という二字についてである。被上告人も原判決も「我が国の国防上の全組織の一部」として横田基地を捉えている点である。これは言葉のすりかえにすぎない。

基地設置の目的はそれが戦争遂行に必要かつ有意義であるからであり、「軍事的」国防すなわち「戦争を手段とする」国防の為の道具となるからこそ、当該基地を設置しているということになる。そこにおける直接かつ至上の目的は戦争の成功的遂行であり軍事的制圧の実現であ。その基地が防衛的であろうと侵略的であろうと、その性格如何はかかわり無く、この点では同じことである。

従って軍事基地に関する限りその存在の価値、公益性について云々するためには、まずもって戦争という国策遂行の為の手段の価値評価から始めるべきは当然である。

そこでは戦争が憲法上どのように合理化され又はどのような価値評価を受けるかといった法律上の評価が不可欠となる。

原判決はこの点についての上告人らの主張を一切無視したまま横田基地の公共性を前述の通り単純かつ抽象的理由のみで認定した上、その程度についてまでも、他の国家機関のものと同程度だと認定した。

これは公共性の認定について理由を示さず、少なくとも理由が不十分のまま判断したものであって、同時に憲法上の解釈論を一切忘れた点で憲法解釈及び法令の解釈適用を誤り怠った違法がある。

そもそもわが憲法の平和原則、国民主権の下で戦争という行為が他の国家機関のそれと同等だというためには、それなりの憲法上の疑問点を解き明かした上でなければ到底納得いく結論とはなりえない。その上戦争という国家の行為は上告人らが原審において述べたように(原判決一審原告控訴審主張第八の四の2の(四)の(3))戦争自体「全く政治の道具であり」政治目的達成の為の手段に過ぎないものである。ましてや軍事基地はその戦争遂行の為のさらに手段にすぎないものである。そうとすれば一体このような存在にしかすぎない軍事基地、それも外国の軍隊が駐留する軍事基地についてどうして前述の如き結論が簡単に得られようか。

ところで横田基地の設置運用目的たる戦争の遂行についていえば特殊の問題が伏在する。それは例えば大阪・成田といった民間空港における設置運用目的である交通運輸事業それ自体を悪と考えたり違法と考える者はいない。しかしながら、戦争自体についていえば侵略戦争と自衛戦争という言葉の存在が示すように戦争それ自体を悪と考え一切してはならないと考えるのは大多数の者の考え方である。そう考えない者も、致し方ない場合に許される必要悪だとして許容するのが人間としての最低限の考え方といえることは経験則上明らかである。

この点からしても、軍事基地に公共性ありとするには、他の公共機関のそれとは違った特別の理由づけが求められて然るべきであってこの点からしても原判決の理由づけは不十分といわざるをえない。

第二に当該軍事基地の公共性を判断する為にはその設置目的に関する公共性のみでは不足であって、具体的な基地運営活動における価値判断も又不可欠だということである。すなわちこれをいいかえれば公共性には抽象的公共性(設置目的の公共性)と具体的公共性(当該具体的基地自体のもつ公共性)の二つの次元での検討を尽した上で判定しなければ正しく十分な公共性判断をしないままに被害の違法性を判断したこととなり、法令解釈の適用を誤るものといわなければならない。何故ならば、本件訴訟で受忍を求められている対象は個々の米軍機の飛行とこれによって生ずる航空機騒音及びこれによって生ずる被害であるからである。従って抽象的公共性のみをもってこれに対置したところで、当該航空機の運航による具体的被害についての違法性を判断することはできない。そうでなければ横田基地の使用がアメリカにとっても日本にとっても不都合かつ無益とされるような場合における騒音に関しても違法性が阻却されてしまうからである。

このことはベトナム戦争、とりわけ北爆開始から米軍の敗北にいたるまでの間横田基地周辺住民に降り注がれたあの激烈な米軍機の爆音について考えてみれば一見明白な事理である。

今やベトナム戦争はアメリカの歴史においても二度と犯してはならない痛恨の禍として語られ、その悪影響はアメリカ社会から今だに払拭しきれないでいることは周知の事実といえる。

ところでこの間の米軍機の作戦活動とそれに伴う激烈な爆音被害も又公共性を理由として受忍が強要されてしかるべきものだったのであろうか。原判決がいうように横田基地が我が国の国防組織の一部だから公共性=受忍義務ありとするだけならばそれはしかりということになる。それならば同じような無益な戦いが今後行われた場合も又そうなるというのか? これはいかにもおかしな結論である。

当のアメリカ自身が再びあのような闘いはごめんだとまでいっているのにである。それ程価値のない戦争の為に強制された爆音被害についてさえ原判決の論理を用いれば前述の如き結論となってしまうのである。

それは何故か。この項の冒頭に述べたように抽象的公共性すなわち設置目的のみに関する公共性論で事を断じようとするからこのように現実に合致しない結論となるのである。公共性論を全体として把握しそれを適法に位置づけ、法的判断の尺度として用いるとするならば、設置目的における公共性判断を十分に行うだけでは不足であり、さらに具体的に現に存在している軍事基地の合目的性とその運用の実態をつぶさに明らかにしなければまさに常識はずれの結論となってしまうことを示す一つの証左である。

(三) 次に、被上告人が上告人らが指摘したこれらの重要な問題点について何ら有効な答弁も見解も述べていないのにもかかわらず、原判決が一方的に上告人らのこの点に関する主張を無視した上で不十分な理解のままに公共性を受忍限度論に導入した点は訴訟法則に反するものである。

原判決はこの点で、上告人らの主張について何ら反論と立証をしないままでいる被上告人に対して、その当否はともかくとして、主張立証責任を尽さない点を捉えて公共性の主張を排斥すべきであった。これをなさないまま公共性を一方的に認めた原判決は法令の解釈・適用を誤ったものである。

2 国防上の公共性を他の行政部門の公共性と同一と判断した誤り

原判決は本件基地は「わが国の国防上の全組織の一部を成す軍事施設である」から「国防上の公共性を有している」とした上で次のように判断した。

「国防は行政の一部門であるから、『戦時の場合は別として、平時における』(この限定付けの誤りについては次節に述べる)国防の荷なう役割は、他の行政各部門である外交、経済、運輸、教育、法務、治安等の荷なう役割と特に逕庭はない。」

この判断は、本件訴訟一審判決が「本件飛行場のもつ高度の公共性は、周辺住民の被害が受忍限度を越えているか否かの判断のうえで考慮されるべき事情のひとつに過ぎない」といいながら大阪国際空港公害事件の賠償額よりも極めて低い賠償額しか認めず結局は本件基地の国防上の公共性を他の公共施設のそれよりも著しく高度のものと認定したのに比べれば、より正しい判断である。

しかしなお、原判決が国防上の公共性を他の行政部門の公共性と同じ高さをもつものと判断したことは憲法の解釈・適用を誤ったものというべきである。

即ち、上告人らが「一審原告控訴審主張の第八 本件飛行場の高度の公共性に対する反論 2 『軍事公共性』の公共性一般における位置 (二)軍事公共性の憲法上の位置」以下においてくりかえし述べたように、わが平和憲法のもとにおいては国防上の公共性は他の行政部門のそれと比べて、明らかにより低い公共性しか認められてはいないのである。

いうまでもなくわが憲法は、国際平和主義を高く掲げ、その前文において「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と力強く宣言している。そして九条一項で戦争を放棄し、同条二項で陸海空軍その他の戦力の不保持を規定し、交戦権を認めないとした。

従って、この平和憲法のもとで仮に国防上の施設を設けることが認められるとしても、わが憲法全体に流れる戦争、軍隊、軍事力に対する強い嫌忌と警戒の精神からして、国防上の施設の公共性は他の公共性よりも大きく劣るものと解されるべきである。

国防上の公共性は他の行政部門の公共性と等しいものとする例には前記の「一審原告控訴審主張 第八 4 軍事基地と周辺住民」にあげたとおり既に西ドイツの「航空機騒音防止法」がある。だが周知のとおり西ドイツの憲法にはわが憲法のような平和条項はない。平和条項のない西ドイツ憲法下の国防施設と、高らかに平和主義を宣言し戦争放棄・軍事力の排除の具体的な規定をもつわが憲法下の国防施設と、その公共性の程度が同一であるはずはない。そうであるのに原判決は「国防のみが独り他の諸部門よりも優越的な公共性を有し、重視されるべきものと解することは憲法全体の精神に照らし許されないところである。」と述べた。これは誤りである。この憲法の強い平和主義に忠実であるならば、更に進んで、「国防もまた他の諸部門と同等の公共性を有しうると解することは憲法全体の精神に照らして許されないところである。」と判断することこそ憲法の正しい解釈・適用なのである。

3 「戦時」と「平時」に区別して判断した誤り

原判決はさらに、国防上の公共性の大きさを他の行政部門の公共性のそれと比較するにあたり、前述の通り「戦時の場合は別として、平時における国防の荷なう役割は」という限定付けのうえで、その大小を判断している。

しかしこの判断に憲法の解釈・適用の誤りがある。

原判決は戦時における国防の公共性は他の行政部門の公共性と比べて当然により大きいものであると判断している。

しかし、この原判決の判断は明らかに憲法の解釈・適用を誤っている。

即ち、上告人らが「第一審原告控訴審主張 第八、一、 3 軍事公共性の今日的意義 (二)軍事公共性に対する制約の理論」以下でも述べたとおりわが憲法の国民主権と平和主義の原則からすれば、およそ国民は国の政治・行政のすべてについてこれを批判し具体的ないかなる要求をも提出する権利と自由を有するものであるから、とりわけ国の防衛政策・軍事的行動に対しては、他の政治・行政部門に対するより、一層多く国民の批判と要求を提出しうる権利と自由が認められていなければならない。なぜなら、軍隊とその軍事的行動はそれ自体極めて危険なものであり、それだけに余計厳しく国民・市民の抑制に服するものとされなければならない(シビリアン・コントロール)からである。

なおここで言う危険とは

第一には、軍隊が市民的統制から外れて政治的に暴走する危険であり、

第二には、軍事政策・戦略の誤りによって、戦争に突入したり巻き込まれたりする危険であり、

第三には、戦争そのものが戦闘=殺人以外の何者でもないところから来る危険である。

更にまた、上告人らが右「主張 第八、四、2、(四) (3)戦争の本質からみた場合の軍事公共性論の誤り」以下でも述べたとおり「戦争は一つの政治的行為である。」「戦争とは他の手段をもってする政治の継続にほかならない。」のであるから、戦争=戦時における軍事行動のそもそもの性格からして、その公共性を他の行政部門のそれと区別して特別に高度のものとすること自体、大きな誤りなのである。

ましてや平和主義を高く掲げるわが憲法のもとにおける国防部門の行動は、戦時においてこそ、平時におけるよりもなお一層厳しい国民的批判のもとにおかれなければならない。そしてそのことを現実に可能とするためには、原判決のような「国防は、戦時の場合は他の行政部門よりも優越的な公共性を持ちうる。」とするごとき判断は、絶対に許されてはならない。原判決はこの点でも憲法の解釈・適用を誤ったものというべきである。

二 受忍限度について

原判決が本件における受忍限度の基準値をW値七五以上、または八〇以上とし、一審判決よりも被害の救済をはかろうとしている点はある程度評価できる。けれども原判決は、加害行為の違法性を判断するにあたり、理由不備、もしくは理由齟齬および判決に影響をおよぼすことが明らかな法令解釈・適用の誤りを犯している。

1 受忍限度論を採用した誤り

原判決は、環境権を否定し「不法行為における違法性を判断するには、被侵害利益と侵害行為の両面から検討することが必要となる」とし、「原則としてそれで足りうる」としながら、本件については、結局は受忍限度論を採用して判断している。しかし、この点は法令解釈・適用の誤りである。

まず、環境権を否定したことが、法令解釈の誤りであることはすでに述べたとおりである。

しかも原判決は、「本件のように被侵害利益が生活権であり、侵害行為が飛行機騒音である場合は、騒音の程度により違法性の有無を決すべきである」としたうえ、「社会生活上やむを得ない最小限度の騒音は、相当程度の不快感を与える程度のものであっても、同じくもともと違法性を欠くもの」と結論づけた。

しかし、仮に本件が生活権に対する侵害にとどまるとしても、権利の侵害である以上は、原則として利益衡量を許さず、それだけで違法性が存在するものとして損害賠償請求を認めるべきである。

原判決は、「被侵害利益が例えば生命権又は身体権であるときは、生命侵害や身体侵害をもたらすような侵害行為は直ちに違法性を帯びるものと解すべきである」と判断しながら、生活権の侵害については、これと別個に扱おうというのであるが、原判決にはその理由さえ示されていない。この判断は、全く納得しがたい。

2 「特別な受忍限度」論の誤り

(一) 原判決は、「侵害行為=騒音が社会生活上の最少限の受忍限度を超える被害を与える場合は、その侵害行為は違法性を帯びることになる」として、この受忍限度を「通常の受忍限度」と規定した。そして、特別の事情が存するときは、被害者は「更に一定限度まではこれを甘受しなければならない」として、この限度を「特別の受忍限度」と称している。原判決は、このような区別を設定して、違法性の判断をより客観化しようとすることを試みたのかもしれない。

しかし、そもそも権利侵害が存在する以上は、それだけで違法であると考えるべきであり、このような区別、操作をして判断する必要はない。さらに、仮に受忍限度論の立場に立つとしても、原判決の判断は、片手落ちで問題である。原判決は当然のこととして「通常」より「特別」が受忍限度を高めるものと即断しているが、その逆も考えなければならないのである。例えば、侵害行為の悪質性、民主的手続の欠如などの要素は、明らかに侵害行為の違法性を強めるものであって「通常の受忍限度」よりも、受忍限度は低くなるはずである。「公共性」「地域性」の要素も同様であることは以下に述べるとおりである。

原判決は、このように受忍限度を低める「特別な事情」を考慮しようとしていない。

(二) 「公共性」は受忍限度を高める要素ではない。

(1) 原判決は「公共性が高度になればそれに応じて受忍限度も高くなるというべきである」との判断を示しているけれども、これは誤りである。

(2) 公共性の有無・程度については別途述べるけれども仮に一定の公共性の存在を前提とするにしてもそのために受忍限度が高まるという理由は全くない。横田基地の存在および航空機の飛行によって、上告人らが特別に受ける利益というのは一切存在しない。また将来的にも特別な利益を受けることはありえない。上告人らは一方的に被害のみを受け続けている。「公共的利益」は、全国民からみてほんの一握りの少数者である上告人らの被害という特別の犠牲のうえにのみ成立しているのである。

つまり、上告人らの被害は、全国民的な「公共的利益」を支えているのであるから、全国民的な見地から一層厚く保護されなければならない。少なくとも、損害賠償請求の判断においては、「公共性」の存在は、受忍限度を低くする方向に機能すべきものであって、これを高める方向に働くというのは、不公平きわまりない。

(3) 騒音規制の現状と国の責務から言っても「公共性」を受忍限度を高める事情と考えるべきではない。

原判決は「騒音は単純な物理現象であって、騒音自体に公共性のあるものとないものとの区別がある筈はない」と正しく指摘している。

ここで騒音規制の現状を見るに、昭和六一年九月成立した東京都の公害防止条例の「改正」では、午後一一時から翌日の午前六時までの間のカラオケや楽器等の使用が禁止され、警察官は音が店の外に漏れていると認めるときは、右時間帯の間は、店に立入り、指示、指導することができ、これを拒んだり妨げたりする等の行為には罰金まで科している。

また、すでに原審で様々述べた工場騒音、工事騒音等の規制や判例(原審最終準備書面、三五九頁〜三六三頁)も、昼間五〇ホン前後深夜四〇ホン以下など、厳しい基準での規制値を設定している。法律や判例は、営利目的の場合にはここまでして騒音規制をしているのである。

他方、夜間、軍用機の爆音で睡眠を妨害される本件の場合はまったく規制されていない。

原判決が指摘するように、騒音自体が同一の物理現象である以上、私益目的であろうと公共目的であろうと、甚大な被害を被らせる大騒音については、厳しく規制がされるべきである。

まして、本件軍用機爆音は他に比類するものがない程の大騒音であるから、これを放置していることは許されず厳しく規制されるべきである。

しかも、被上告人は、国民に対して「健康で文化的な最低限度の生活」を保障し(憲法第二五条)、「国民の健康を保護し、及び生活環境を保全する使命を有する」(公害対策基本法第四条)と自らその責務を明確にしている。本件侵害行為はかかる責務を負担している被上告人が、自らその責務をかなぐり捨てて、上告人ら住民に激じんな騒音等による被害を生ぜしめているものである。従って、このような責務違反の侵害行為に公共性を認めることはできないばかりか、仮りに公共性を肯定するとしても、受忍限度を高める要素と認めるべき理由は全く存在しない。

3 地域性も受忍限度を高める要素ではない。

原判決は、「特別の受忍限度」を考慮すべき特別事情として「地域特性」を挙げ、「商工業地域においては、住宅地域に比べると騒音が出易いことは明らかであり、そこに住む人々はそのことを予期している訳であるから、ある程度受忍限度が高くなることはやむを得ない」と判断している。しかも、右の地域の区別は政策的に定められた都市計画法に基づくものとしている。

しかしながら、仮りに右「予期」があったとしても、その「予期」は商工業地域において通常伴う騒音についてであって、これとは異質で激じんな航空機騒音まで「予期」しているものとすることはできない。従って、本件航空機騒音について受忍限度を高める理由とはなり得ないこと明らかである。

さらに、本件横田基地や原告ら住民らの居住地域を違法判断の事情として考慮するならば、むしろ、この地域が都心から三〇キロメートルという本来良好なベットタウンの地域であることを重視すべきである。そこに、激じんな航空機騒音が撒き散らかされている異常な事実に着目すれば、住宅地域か商工業地域かの区別は問題にならない。むしろ、この良好なベットタウンの地域であるという全体的な地域性は、受忍限度をひき下げる方向に機能する。原判決の判断は、このように全体的に観察する視点を欠落させた「木を見て森を見ざる」ものである。

しかも、本件の騒音は通常商工業地域でも全く予想されない上空からの相当なパワーを伴なった騒音である。この騒音の性質から言っても、商工業地域をあえて区別する必要はない。

4 被上告人の侵害行為の悪質性について

上告人らは、被上告人は「原告ら周辺住民の反対にもかかわらず、周辺住民の十分な理解と同意を得るための民主的手続をとることなく、周辺住民に多大な被害を及ぼすことを知りながら、あえて横田飛行場を拡張するなどして、騒音を激化させてきた」事実を指摘しこの事実を「違法性を著しく加重する要素として」主張した。

けれども、原判決は、右主張を判断していない。これは理由不備・理由齟齬であって、法令解釈・適用の誤りである。

右に述べた「被上告人の侵害行為の悪質性」については、大阪空港訴訟最高裁判決でも「空港の拡張やジェット機の就航、発着機の増加及び大型化等が周辺住民に及ぼすべき影響について慎重に調査し予測することなく、影響を防止、軽減すべき相当の対策をあらかじめ講じないまま拡張等を行ってきた」経過が事実として指摘され、この事実が違法性判断の要素として判断された。原判決の判断は、この判例にも反するものである。

三 国の対策について

原判決の騒音対策に関する認定中、周辺対策中の住宅防音工事についての認定には、以下のとおり経験則違反・理由齟齬・理由不備の違法があり、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

1 原判決の騒音対策に関する認定

(一) 原判決が本件横田基地における被上告人が行なってきた騒音対策に関する認定は、一審判決と比して、上告人らの主張に耳を傾け、合理的かつ妥当な部分も多い。特に次の諸点は評価できる。

(1) 被上告人が、各種行政対策の実施は違法性を排斥する重要な事情であり、違法性の判断に当っては右対策の内容と効果をも考慮に入れて総合的に考察して決すべきと主張したのに対し、これを排斥し、騒音対策自体においてその効果を判定すべきものであり、かつ、それをもって足りるとしたこと。即ち、騒音対策は、客観的に被害の防止又は軽減に役立っているならば、その限りにおいて考慮されるべきものであり、効果が挙がらない場合は、対策が講じられたこと自体をもって違法性判断要素に加えたり、又は慰謝料算定に当って考慮すべきではないとしたこと。

(2) 右の観点などを根拠に、損害賠償の認定に当って住宅防音工事以外の騒音対策は全て積極的評価をしなかったこと。

(3) 音源対策、運航対策については、航空自衛隊小松基地や厚木飛行場における運航規制との比較、及び米国の祝祭日における本件横田基地での飛行状況等から判断し、被上告人が米軍に対して昭和三九年の日米合同委員会で合意した規制措置の尊重を求めることに熱心とは認められず、時には違反に協力することもあると判示したこと。そして「横田飛行場の音源対策、運航対策全体としては、同飛行場が米軍管理下にある軍事基地であることを考慮に入れても、ここ一〇年間においてなされた改善努力は、甚だ不十分なものであるといわなければならない。」と認定したこと。

(二) しかし一方、原判決は上告人らのうち住宅防音工事の助成をうけた者については、被害軽減の効果を認めて施工日の翌日以降施工部屋数一室当り慰謝料基準額の一割を減じた。

この認定は、次に述べるとおり、経験則に反し判決自体にも矛盾があり理由齟齬・理由不備の違法がある。

2 住宅防音工事の効果についての誤った判断

(一) 原判決も認定したとおり、特段の防音装置を施さなくとも建物自体の構造によって航空機騒音とりわけ飛行音に対しては開口部を閉め切った状態では通常約二〇デシベル(A)前後の遮音効果がある。そして防音工事による効果としては、平均約8.0デシベル(A)の減音しか認められない。

ところが、上告人らは深夜・早朝を含め日夜九〇デシベル(A)ないし一二〇デシベル(A)をこえる爆音から逃げることはできない。したがって、防音室内に在室している間においてすら六〇デシベル(A)ないし九〇デシベル(A)以上の航空機騒音を免れることはできない。

しかも上告人らは一日の生活を全て防音室内で暮すことはあり得ず、外出しあるいは非防音室で、あるいは家の窓を開けた状態で生活するのであるから圧倒的にそれ以上の激しい騒音にさらされているのである。

したがって現在、被上告人が行なっている程度の防音工事の内容(建物全体を防音化するのでなく各室のみを防音化する)、効果では上告人らの騒音被害の軽減に役立っているとは経験則上いえないことは明らかである。

しかるに一室につき慰謝料基準額の一割を減じた原判決の判断は経験則に反するといわなければならない。

(二) 原判決も防音工事による減音効果が建物それ自体の遮音効果を差引いたもののみであり、そのうえ通常人の生活は防音室内に常時在室しているわけでもなく防音室による生活上の利益は部分的にとどまることを判示している。

しかも前述のとおり、騒音対策の評価に当っては客観的な被害の防止に役立っているか否かで判断すべしと判示しているのであるから、前記程度の防音効果によって一室当り慰謝料基準の一割を減じた判示は、原判決自体に矛盾があり、理由齟齬・理由不備の違法がある。

(三) なお右経験則違反・理由齟齬・理由不備の違法が原判決に影響を及ぼすことは明らかである。

上告理由第四点

原判決は「危険への接近」法理を適用して、昭和四一年一月一日以降に横田基地周辺に転入してきた上告人について損害賠償額の二割を減額した。しかし、右判断は判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背及び経験則違背があり、破棄を免れない。

一 原判決の判断

原判決は「一般にある者がある場所に危険が存在することを認識しながら、又は認識しないで、あえてその場所に入って危険に接近し、そのため被害を被ったときは、……過失相殺に準じて、損害賠償の額を定めるについてこれを減額事由として考慮すべきである。」として「危険への接近」法理を賠償額の減額事由として是認した。そして、そのうえで昭和三五、三六年頃から本件飛行場周辺の市町村当局及び住民多数が国や米軍に対して、航空機騒音の問題につて陳情要望を重ねて、一種の社会問題化していたこと、昭和四〇年二月ころから北爆が開始され、米軍機の騒音が飛躍的に増大する傾向にあったことなどを根拠に、昭和四〇年当時、本件飛行場周辺の相当広範囲の地域は航空機騒音に恒常的にさらされている地域として一般に熟知されていたと断定し、昭和四一年一月一日以降に基地周辺に入居してきた上告人らに対して二割の慰謝料減額を行なっている。

二 「危険への接近」法理の違法性

しかし、いかなる加害者も自己の所有敷地を越えて他人の敷地の上に騒音・排気ガスその他の有害物質を排出、放散する権利を有しない以上、自己の所有敷地外に加害者が自ら被害を発散させておきながら、被害発生後に被害の及ぶ敷地に移転してきた住民に対し、加害行為の既得権を主張する根拠は全く存しない。住民が転入を禁止されるような特別の法的損害回避義務があれば格別、そのような義務を負わない住民が転入してきた場合に、加害行為が先行しているというだけの理由で、住民に被害回避義務を負わせることは、環境破壊者に対して環境専有権を認めるに等しく、到底容認し得ないものである。

首都圏における住宅事情、周辺の都市化の状況及び上告人ら住民と被告国、米軍との間の力の差が歴然としている本件のような場合右法理を認めることによって、強者が弱者の犠牲の上に、社会状況、周囲の土地利用状況の変化におかまいなしに公害の垂れ流し得を認める結果となって、その不当性は一層明らかとなる。加害者の作り上げた違法な既成事実を被害者の犠牲において尊重する右法理が「衡平の原則」から見ても許されないことは、原審においても主張したとおりである。右法理の違法性は、それが単に損害額の減殺事由として利用されるにすぎない場合でも、何ら変わりはない。

原判決はかかる違法な「危険への接近」法理を認めて、一部の原告住民の損害賠償額を減殺したのであるから、その限りにおいて判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背があり、破棄をまぬがれない。

三 右法理の本件への適用の誤り

1 仮に損害賠償額の減額事由として「危険への接近」法理が一般的に認められるとしても、原判決が認定するように、昭和四一年一月一日という一時点に線を引き、それ以降の入居者に対して、入居の際の個人的事情、認識の有無、程度を一切問題にすることなく、騒音に対しての認識または認識しなかったことについての過失を認めて、一律に二割の減額を認めるが如きは、右法理を不当に広く適用する結果となり、また、原判決が右法理の法的根拠として準用する過失相殺の規定の趣旨にも反する結果となって、法令違背及び経験則に反する重大な事実誤認の違法性があり、破棄を免れない。

2 過失相殺における被害者側の「過失」とは、当然のことながら不法行為の成立要件としての過失よりは幅広く解されている。しかし、その場合でもやはり「損害の発生を予見するか、または予見し得べかりしことを必要とする」(最判昭三六・一・二四判例時報二四九号一六頁)。そして本件においても危険への接近者に対して「過失相殺に準じて」損害賠償額を減額するためには、騒音地域外から転入してきた上告人ら住民に航空機騒音被害についての予見可能性が必要であることはいうまでもない。そうであるとするならば、昭和四一年当時、果たして騒音地域外から転入してきた上告人ら住民に騒音被害発生についての予見可能性を認め得るであろうか。

右予見可能性の有無もやはり一般通常人の知識、判断力を基準として決するべきである。仮に航空機騒音にさらされている事実が、基地周辺の住民について顕著な事実であったとしてもそれのみをもって、基地周辺地域外に居住している通常一般人に予見可能性ありと認めるわけにはいかないことはいうまでもないことである。確かに、米軍の北爆を契機にして、昭和四〇年頃から「航空機騒音は質量ともに飛躍的に増大する傾向であった」ことは事実である。そして基地周辺住民にとって騒音被害がより一層切実な問題としてのしかかってきた。しかし、そのことのみをもって、昭和四〇年当時本件飛行場周辺の相当広範囲の地域が、航空機騒音にほぼ恒常的にさらされる地域として「一般に熟知」されたと言えるであろうか。原判決の右認定はそのように認めるべき証拠もなく、また通常の経験則に反するものであり、重大な事実誤認であるといわねばならない。

3 被害が甚大になったとしても、それがストレートに大きな社会的関心を呼び起こすことにつながらないことは言うまでもない。特に昭和四〇年当時は、航空機はいまだ庶民にとって縁遠い存在であり、軍事基地を除けば、民間空港における離発着も現在程多くはなかった。基地及び一部の民間空港周辺の限られた地域を除けば、航空機騒音の問題が今日程大きな社会問題として社会一般の注目を集めていたわけでもなく、人々の話題にのぼるようなこともなかったことは、裁判所にとっても顕著な事実であろう。今日のように航空機が庶民の足となり、それと比例するかのように航空機騒音問題が大きな社会問題となっている現状をもとに、昭和四〇年当時から、一般通常人が航空機騒音にさらされる地域であることについて認識すべきであったという結論を導きだすことはできない。

それにもかかわらず、昭和四〇年の時点において、横田基地周辺の地域が航空機騒音にさらされる地域であることが広く一般的に熟知されていたとするのはいささか強引な決め付けであり、到底、納得しうるものではない。

原判決は基地周辺の航空機騒音についての予見可能性を認める根拠として、①昭和三五、六年頃から基地周辺の市町当局及び住民多数が、国や米軍に対して陳情、要望を重ねてきたこと、及び②北爆開始後に騒音が飛躍的に増大したことを挙げる。しかし、これらの事柄はいずれも正に基地周辺住民のみが知りうる事柄である。基地周辺の住民がこれらの事柄を熟知していることは格別、特に基地問題、騒音問題に関心を有していない一般の人間についてまで右の事柄を認識すべきであったのに認識しなかったことに過失があるとする原判決の判断は一般人に過大な注意義務を課して、加害者である米軍及び国の責任を一部免除しようとするものであって、極めて不当なものである。

上告人ら本人の法廷における供述及び陳述書を見ても、昭和四一年一月一日以降基地周辺に転入してきた上告人らは、騒音被害はおろか、基地の存在すら知らなかった者が殆どである。これは一般通常人にとって、基地周辺地域が騒音にさらされている地域であることを認識することが不可能であったことの一つの証拠である。過失相殺における過失についても予見可能性の有無を問題とし、一般通常人の知識、判断力を基準にその有無を判定すべきである以上、殆どの人間が予見出来なかった騒音について予見しなかったことをもって、過失ありと認定出来ないことはいうまでもないことである。原審はこれらの証拠についてどのように判断したのであろうか。基地周辺に移り住んできた者で、騒音にさらされる地域であることを認識していなかった者は、皆すべて一般通常人よりも判断能力が劣っていたとでも判断したのであろうか。そうでなければ、一方で殆どの人間が認識出来なかったという証拠がありながら、もう一方で認識出来なかったことを過失と捉えることは、明らかに証拠を無視した認定であり、明白な事実誤認といわざるを得ない。

4 確かに、昭和三九年頃より横田基地における騒音が問題となり、騒音被害、集団移転等が新聞、テレビ等で報道されるようになった。しかし、だからといって、この時期以降に入居したものがすべて自分の居住する地域が航空機騒音に汚染された地域だという認識を有していた、あるいは認識することが可能であったのに注意義務を怠ったために認識できなかったと考えるのは、我々の経験則に反することはいうまでもないことである。おびただしい情報が次々と提供される今日においては、たとえ、新聞で報道されようがその時点で特段の関心を持っていない人は、別に気に留めることもなく忘れてしまうのが通常であり、そのことは特になんら非難に値しないことである。一体誰が自らに関係のない、いわば他人事にすぎない記事、報道をいつまでも明確に意識の中にとどめておくことがありえようか。訴訟資料として切りぬかれ、整理された新聞記事を見て、一般人も同様の整理を行なって記憶を保っている、あるいは保つべきだと考えるのは経験則違背以外の何物でもない。

また仮に入居の時点で横田基地の騒音問題を記憶にとどめていた者がいたとしても、それだけで、その者が基地が東京都下のこの場所に位置し、基地から離れた自らの居住場所にまで、騒音の被害を及ぼしていることの認識を有していたということは通常考えられないし、また認識することは不可能である。横田という地名が現在基地に冠せられる形でしか残っていないことから見て、基地の場所についておおよそでも知っている者はむしろ稀であろうし、まして、当該地域がどの程度騒音に汚染された地域であるかは、騒音線引きを見ない限り一般人には知りえない事柄である。

5 上告人らが居住している地域は住宅が立ち並ぶ地域である。そして、かかる地域に居を求めようとする者が、入居に際して騒音の問題を気にして調査するとすれば、それは、通常、道路・鉄道騒音、工場騒音、近隣の居住者による騒音などであろう。航空機騒音の問題については全く思いも至らないのが普通であるし、またそれについて調査すべしとするのは不可能を強いることである。

上告人の中には都営住宅に居住している者も多い。都営住宅は東京都が提供する住宅である以上、まさかこれほどまでに劣悪な環境下にあるなどということを考えることもなく、十分な調査もせずに、入居を決定する者が殆どであったとしても何ら不思議ではないし、騒音被害の存在について認識できなかったことをもって過失ありと認定することは極めて不当である。

上告人らの中には、基地の存在については認識があったと述べるものもいるが、航空機騒音被害のように被害発生地域が大変広範囲にわたり、基地から遠く離れた、騒音被害など到底予想しえない地域においても、なお、大きな被害が発生するような場合、基地の存在の認識がそのまま航空機騒音被害の認識につながらないことはいうまでもないことである。また基地の存在を認識していながら当該居住地まで騒音被害が及ぶことについて認識できなかったとしても、それは何ら非難に値しない。

6 大阪空港最高裁判決は、大阪空港のB滑走路供用開始後に転入してきた二名の住民に対して、騒音被害について認識がなかったとは経験則上信じ難いとして、「危険への接近」法理を適用して特段の事由なき限り損害賠償請求を否定すべしとした。しかし、大阪空港のような民間空港における右判断は、軍事基地である本件についてそのまま適用できない。大阪空港のような民間空港は、毎日の飛行状況がほぼ一定しており、しかも、一旦滑走路が増設されて、離発着回数が増えると、その後回数が減少することはまず考えられない。しかし、横田基地のような軍事基地では、日々の飛行状況が、国際情勢の変化によって必ずしも一定せず、また短期間をとってみても曜日等で変化が多い。また、一旦国際情勢の変化によって飛行回数が大幅に増えたとしても、その増加がそのまま将来も維持されるわけではなく、情勢の変化によってまた減少することがある。事実横田基地においてもベトナム戦争の北爆開始によって昭和四〇年頃大幅に増えた飛行回数が、昭和四七年頃には大きく減少し、また戦争が終結した昭和五〇年には、横田基地において騒音の自動測定がなされるようになってから最低の飛行回数を記録しているのである。

このように、横田基地においては、大阪空港のような民間空港に比べて、騒音についての認識を有することははるかに困難である。

四 航空機騒音被害は予見できない

また仮に一部の者について、航空機騒音についての認識、もしくは認識可能性が認められるとしても、本件はそもそも右法理の適用要件を欠いていることは原審においても主張したとおりである。

本件被害は累積的に生じる被害である。決して、一回の騒音に曝されることによって人間がその場限りで感じる不快感にとどまるものではないことは、既に、十分主張してきたところである。日に何度も睡眠が妨害され、会話、だんらんが中断されることによって、住民が日々感じつづける苛々が正に本件の生活被害なのである。移転する際に、当該居住地が航空機の飛行コースに直近の場所にあることを認識し、あるいは認識し得た者にとっても、その騒音被害の中身についてまで認識することは不可能である。航空機騒音による被害の実態は住んでみて初めて十分理解できる性質のものなのである(大阪空港最高裁判決、団藤・中村・木下・伊藤反対意見)。

従って、航空機騒音についての認識もしくは認識可能性があるものについても、それが即、騒音被害の認識あるいは被害の認識可能性に結び付くものでないのであり、被害の認識、予見可能性がない以上、「危険への接近」法理を適用する要件を欠くのである。

五 転入の際の事情

既に述べたように原判決は各人の入居の際の事情について一切考慮することなく、昭和四一年一月一日以降の転入者に対して、「危険への接近」法理を適用している。しかし、いやしくも「過失相殺」を問題とする以上、転入者それぞれの個人的事情について全く考慮しないのは片手落ちである。なぜなら、過失相殺とはそもそも被害者側の事情も考慮することによって加害者、被害者間の公平を図ることを目的とした制度だからである。原判決のように個人の事情について全く考慮することなく、ただ機械的に入居の時期だけを基準にして「危険への接近」法理の適用の有無を判断することが、しばしば不合理な結果をもたらすことは「過失相殺」の規定の趣旨からいっても当然である。

そこで、陳述書に表われた各上告人らの転入の事情をみてみると、騒音被害の認識の有無にかかわらず、基地周辺に移り住んでくることがやむをえないと考えられるものが多々存在する。

上告人中谷澄子(<書証番号略>)、同千葉ミネ子(<書証番号略>)、同神田和子(<書証番号略>)、同二宮民江(<書証番号略>)はいずれも結婚のため、夫が予め居住していた騒音地域内の住所地に移り住んできたものである。原判決はこのような場合にまで転入者に過失を認めるのであろうか。東京周辺の住宅事情を考えると、もし仮に夫の居住地が騒音汚染地域であるとわかっていたとしても、結婚のためにわざわざ別の静かなところに居を求めて、そこを結婚後の住居とすることは到底不可能である。原判決の認定は正に右上告人にこの不可能を強いることに外ならない。右上告人らにとっては、騒音地域内に住むこと以外他に選択可能性がない。このような者にまで過失を認め、それがいやであれば、初めから他の所に住めば良かったとする原判決の判断は暴論としかいいようがない。

他にも、左に挙げる上告人らについては、騒音地域内に居を求めることに止むをえない事情があり、「危険への接近」法理をそのまま機械的に適用することが酷な結果をもたらす。

上告人菅原喜久子(<書証番号略>)、同富士原武雄(<書証番号略>)はそれぞれ、もとから騒音地域内に住んでいた両親、子供と同居するためにそこに移り住んできた。同毛利紀子(<書証番号略>)、同田中靖雄(<書証番号略>)は予め親族が騒音地域内に購入していた土地の上に建物を建てて移り住んできた。上告人羽澄達男(<書証番号略>)は転職に際して、新しい会社から社宅をあてがわれて、騒音地域内に転入してきた。

これなどもいずれも東京周辺の住宅事情を考えると転入に止むをえない事情があり、「危険への接近」法理は適用されるべきでない。

六 まとめ

以上述べたように、仮に損害賠償額減額要因として一般に「危険への接近」法理を認めるとしても、本件はその適用要件を欠き、右法理を適用して賠償額を減額した原判決は判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背があり、破棄を免れない。

上告理由第五点

原判決は上告人らの将来の損害賠償請求を却下した。しかし、右判断は民訴法二二六条の解釈を誤ったもので判決に影響を及ぼすべき明らかな法令違背がある。

一 はじめに

原判決は、

① 横田飛行場における航空機騒音等の状況には恒常性がなく、将来を予測することが困難であること。

② 被告の周辺対策も漸次充実してきていること。

③ 公害対策基本法に基づく航空機騒音にかかる環境基準の設定によって被上告人が右基準の達成を義務づけられていること。

などを根拠に、将来における被害状況を予測するには不確定な要素が多く、現在において的確な判断をすることが不可能であるとして上告人らの将来分の損害賠償請求を却下した。

しかし、原判決の右判断は民訴法二二六条の解釈を誤ったものであって、判決に影響を及ぼすべき明らかな法令違背があり、破棄を免れない。

二 継続的不法行為と将来請求

民訴法二二六条は将来給付が認められる場合があることを規定する。これは、停止条件付債権や、期限未到来の債権についての債務名義をあらかじめ取得することを認めたにとどまらず、請求権発生の基礎となる事実関係が継続的な態様において存在し、しかもそれが将来にわたって確実に継続することが認定されるような場合において、将来確実に発生するであろう請求権についての債務名義を予め取得することを認めたものである。そして、米国軍隊が占有する基地の設置・管理の瑕疵によって継続的に損害が発生している本件のような場合が正にこれにあたる。

もっとも将来分の請求であるから、ある程度不確実性の上にたった上での請求の認容になることは避けられない。しかし、その場合も「将来の確実性」を厳格に要求する余り、将来請求の用件を狭く解釈しすぎて、被害住民らに酷な結果を押しつけないよう気を付けなければならない。その点原判決が将来の不確実性の根拠として挙げた三つの理由は、全く現実の状況を無視したものとなっている。即ち将来もほぼ確実な事由を殊更に不確実と解し(前記①の事由)、全く不確実な事由を殊更に確実なものとする(前記②③の事由)といった矛盾した構造を持っており、破棄を免れない。

三 原判決の理由付の誤り

1 まず、横田飛行場が軍用飛行場であって、騒音に恒常性がないという点は、横田基地の役割及び過去の飛行状況からみても明らかに判断の誤りである。

原判決の付表Ⅳによってもあきらかなとおり、昭和五〇年から同六〇年までの飛行回数は昭和五〇年の28.1回を最低に、同五四年の40.5回を最高にしてほぼ一定している。そして、同付表Ⅷ及び一審判決別表七、八を見ても明らかなように、この間の飛行回数は、横田基地が米軍のベトナム戦争遂行に使用されていた頃に比べると、明らかに減少している。

横田基地は軍用飛行場であるから、国際情勢の変化、特に大きな戦争、国際紛争の有無によってその飛行状況は大きく変化する。その意味で将来の飛行状況の的確な予測は不可能である。しかし、平時であるからといって全く飛行機が飛ばなくなるという状況は絶対に有りえないと断言してもよい。それが証拠にベトナム戦争が終結し、横田基地をめぐる国際情勢が比較的相対的に安定した時期であった昭和五〇年においても、なお、一日平均28.1機の飛行機が飛んでいるのである。今後の国際情勢がどのように変化するのであれ、将来的に昭和五〇年の飛行回数を下回るような事態は有りえないと言っても過言ではない。

一方、基地の使用態様、機能面においても昭和四八年に日米安全保障協議委員会において関東地区の米空軍施設を横田飛行場に整理統合する関東計画が承認されたことによって、基地の機能が拡大強化され、米第五空軍の中枢的な中継輸送基地となっている。このことからも、騒音が今後激化することはあっても、これ以上減少することは全く考えられない。

2 第二に周辺対策の進展については、周辺対策の項においても述べるように横田基地周辺の住宅防音工事の不完全さ及び欠陥は明瞭であり、その点は原判決も認めるところである。また仮に住宅防音工事による減音効果がわずかにあったとしても、その部屋を密閉して利用し続けることは不可能であるという点から考えても、住宅防音工事は抜本的解決にはならない。そして、騒音被害の防止について効果的な対策となるべき、音源対策、運航対策について国は殆ど初めから放棄する態度をとっている現状では、住宅防音工事によって横田基地周辺の被害が減少することは考えられない。また、音源対策、運航対策において横田飛行場が他の公共飛行場に比較し、著しく劣っていることは原判決自らも認めているところであり、被上告人の周辺対策が今後の賠償請求を不必要あるいは大幅に減額させる程充実することは到底考えられない。

3 第三に被上告人が公害対策基本法に基づく航空機騒音にかかる環境基準の設定によって右基準の達成を義務づけられているという点は全く将来の損害賠償を否定する理由にならないものである。現に証人佐藤吉司は、国が環境基準達成のため、わずかに地上音対策としては植林・植樹をしているにすぎず、肝腎な航空機騒音については何の施策も施していないことを認めている。右証言によっても明らかなように被上告人には右環境基準達成の意欲もなく、その達成を事実上放棄してしまっているのである。しかも、被上告人は右環境基準の一〇年以内の改善目標すら達成していないのであるから、環境基準自体についても達成の見込が全く立っていないと判断せざるを得ない。

四 まとめ

以上述べたように本件においては過去から現在に至るまで長期間にわたり、侵害行為が継続し、更には将来侵害行為が止むこと、あるいは、損害の効果的な軽減措置がとられることは全く期待しえない状況にある。このような場合には、近い将来に侵害行為または損害の発生が止む蓋然性があることが被上告人によって立証されない限り、将来にわたって同様の侵害状態、損害の発生が継続するものと推定すべきであり、将来の損害賠償請求権を認めるべきである。これまで長期間にわたって侵害行為が継続されてきた本件において、不確実な部分があることによる不利益を上告人らに帰することは、公平の見地からも相当ではない。損害の発生またはその額を左右すべき新たな事情が生じた時は被上告人においてその事実を立証し、執行を妨げれば足りると解するべきである。

被上告人が侵害行為を繰返し続けた場合、被害者は口頭弁論終結以後の損害については訴訟を半永久的に繰返し提起しなければならないが、被害者にとってその負担はきわめて重く、事実上権利主張を放棄せざるをえなくなることは明白である。このような事態は被害者の裁判を受ける権利を事実上奪うに等しい結果をもたらす。

以上のように、本件においては将来請求を否定する理由はなく、上告人らの将来請求は適法であり、かつ上告人らの被害救済上是非とも必要である。

上告理由第六点

原判決が電気料金相当損害金の金員請求を否定した部分は、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令解釈・適用の誤り、採証法則違反・審理不尽・経験則違反の違法を犯している。

一 原判決の判断

原判決は、上告人らが電気料金相当損害金を民特法及び国賠法に基づいて請求したことに対し、不法行為を理由とする請求は失当であるとして否定した。その理由は、第一に、本件被害は不快感、睡眠妨害、会話妨害等の非身体的被害だけであるから発生後直ちに消失してあとに残らず、この点で交通事故被害者の身体的被害の場合のように過去において発生し現在においても存在する被害の救済をはかる費用の賠償とは問題を別にする、第二に、本件不法行為は継続的なものではなく日々発生するものであるところ、本件被害は発生後直ちに消失してしまうものであるから、防音工事により防止、軽減しようとする被害は結局、将来起こるかもしれない侵害行為による被害と解することになる、というものである。

二 原判決は被害の実態の理解を誤った

しかしながら、原判決の右理由は極めて技巧的であり被害の実態とかけ離れた理論である。

第一に、本件被害は精神的心理的被害が被害の中心をなしているとはいえ、身体的被害を含むものであることは明らかであり、またたとえ非身体的被害の場合であってもその被害は直ちに消失してしまうものでもない。

原判決は本件被害を単に「不快感、睡眠妨害、会話妨害等」と例示するが、原判決は第三被害の項で次のように被害実態を認めている。すなわち、上告人らは「日常の生活においても、不安感・焦燥感が昂じ、集中力が減退し、根気がなくなり、神経質になり、過敏な者はノイローゼになることをおそれ」「気分がいらいらし、怒り易くなり」「情緒不安傾向があり」(第三被害、二精神的被害)、また「強大な騒音により睡眠を妨害され、疲労の回復を妨げられ」「家屋内で六〇ホン程度の騒音ともなれば、たとえ断続的騒音であっても、半数程度の者が睡眠の妨害、覚醒の促進を訴えるようになり、五〇ホン程度でも、七、八割の者について睡眠深度が全体として浅くなり、血球数の変化(ストレスの増大)があらわれることは、十分に肯認でき、従ってこのような騒音の暴露下に年間三六五日ほとんど連日のように置かれている場合には、住民の受ける睡眠妨害の程度は重大なものというべく、疲労が蓄積し、老人または病弱者の健康に有害な影響の出る可能性があることは、否定できない」(同三睡眠妨害)「同飛行場周辺地域のうちWECPNL八五以上の地域においては、第二期を中心とする航空機騒音の最も激しかった時期において、その居住者にたいし、聴力損失または耳鳴りを生ぜしめあるいは従前の聴力の異常を憎悪せしめる客観的危険性があったことは、推認でき」「第三期以降においても、前記の各地区に居住している者について一時的聴力損失の危険から完全に免れているということはできず」(同五身体的被害、難聴及び耳鳴り)「前記認定の睡眠妨害及び精神的心理的影響等にかんがみれば、騒音が同飛行場周辺、特に侵入コース直下地域の住民に一過性の生理的悪影響を及ぼし、これが永年続くときは健康を害し、高血圧・心臓その他の内臓疾患を有する者の症状を悪化させ、その治療の効果を妨げ、未熟児の出生率を増加させる等の危険性のあることは、否定できない」(同五身体的被害、その他の健康被害)。

以上のように原判決は非身体的被害が身体的被害に及ぼす影響並びに神経症、ノイローゼ、疲労の非回復、ストレスの増大、疲労の蓄積など永続的に症状がでることを認めており、したがって、本件被害は不快感、睡眠妨害、会話妨害等の非身体的被害だけと単純化し直ちに消失するとした認定は明らかに誤りである。上告人らの蒙る被害は引き続き存続・蓄積する被害を含み、したがって、この被害の救済をはかるため支出された費用は当然不法行為に基づく損害の問題としなければならない。

2 第二に、たとえ本件被害が発生時限りのものでその時を過ぎれば消失する被害を有していると解しても、なお原判決の判断は誤りがある。

すなわち、原判決の論理は本件不法行為の性質論をもちだし、本件不法行為は継続的なものでなく日々発生するものであるから、それによって発生する被害も発生時限りのものであるとすれば、被害は日々発生して消失し後に残らない。したがって、防音工事により防止、軽減しようとする被害は結局、将来起こるかもしれない侵害行為による被害と解することになるとして、それにかかる費用の請求は妨害予防請求権の問題であるとするのである。本件被害が発生時限りのものであるとしても、不法行為が継続した性質を有すれば結局被害も継続して発生することになり、継続した被害を防止、軽減するためになした防音工事に関する費用は不法行為責任の問題となってしまうから、原判決は侵害行為の継続性を否定したのである。

しかしながら、本件侵害行為は継続的なものでないとする判断は原判決の認定に矛盾しまた実態にそぐわない。原判決は飛行機騒音の特色を「持続時間の短い(この点は異論がある)騒音の反復であること、深夜早朝を含む二四時間暴露であること」(第三被害、五身体的被害、難聴及び耳鳴り3)とし、反復して暴露する飛行機騒音の特長を正当にも認めている。しかるに、他方で本件侵害行為を継続的不法行為でないとするのは明らかに矛盾している。本件飛行機騒音の侵害行為は横田基地という恒常的な軍事施設を利用して戦後から間断なく行なわれ続けてきたのであり、それ故本件提訴に踏み切らざるを得ない被害群が発生してきたのである。これをあえて単なる一つ一つの個別から成る不法行為と解することは国民の正常な常識にも反するものである。

3 原判決の判断が極めて技巧的であり明白な過ちを犯している点を他の面から指摘する。上告人らが請求している損害金としての電気料は基本料金と空調設備使用に伴って使用される電気料金をいうが、これらの電気料金が支出される具体的場面を考えてみればよい。空調設備を利用する電気料金は、まさに飛行機騒音の侵害行為の最中に空調設備を作動させることによって支出される。このように侵害行為の最中に支出される電気料金は当該侵害行為によって支出を余儀なくされる損害であり、将来発生する被害のために支出される損害でないことは明らかである。基本料金についても、一旦設置された空調設備にかかる基本費用は反復して昼夜絶え間なく暴露され続けている侵害行為の最中に支出されているのである。仮に一〇〇歩譲って原判決の立場にたち防音工事自体は将来発生するかもしれない被害の防止を目的とするものであるとしても(したがって防音工事にかかる費用は妨害予防請求権の問題であるとしても)、電気料金の支出は、侵害行為の最中に被害を防止するために発生する損害である。

4 視点を変えて次の例を想定すれば、より理解しやすいだろう。

例えば通常の日常生活において、違法な隣家の騒音被害に苦しむ者が被害を防ぐために耳せんを購入せざるを得ず、以後違法な騒音被害に悩みながら耳せんを使用した不自由な生活を余儀なくされていたとすれば、この費用はどのような請求権に基づいて認められるであろうか。おそらく不法行為責任に基づく請求を認め、万一これを物件的請求権と構成することが可能としても不法行為責任に基づく請求を排除することはあるまい。これが国民の常識であり、一人法律家だけが常識からかい離した理屈を唱えることは許されない道理である。

以上により、被上告人は民特法及び国賠法に基づき電気料金相当損害金を賠償する責任を負うことは明らかである。原判決は上告人らの請求の正当性は認めながら、ただ否定するために苦しい理由を創りあげたにすぎない。

三 妨害予防請求権であるとしても誤りである。

なお、電気料金相当損害金の金員請求を原判決のように物権的請求権の妨害予防請求権であるとしても、本件請求を否定した原判決は誤りである。

原判決は、物権的請求権の相手方は米軍であって被上告人である国は当事者適格を有しないという。しかしながら、本件の加害者が米軍だけでなく被上告人でもあること及び被上告人は物権的請求権の相手方となりうることは既に差止請求の部分において詳細に主張立証したところであり、被上告人の請求は認められるべきである。

以上のとおり、原判決は判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈・適用を誤り、また、採証法則違反・審理不尽・経験則違反の誤りを犯している。

上告理由第七点

原判決が消滅時効の援用を認めたのは、法令の解釈・適用を誤ったものであり、右誤りは判決に影響を及ぼすものであることは明らかである。

一 原判決の判断

原判決は「航空機騒音等は個々の飛行活動またはエンジンテスト等の作業によって間欠的断続的に生じているものであるから、」「不法行為は日々新たに成立しているものと解すべきであり、それに応じて消滅時効も日々進行するというべきである。」とし、また消滅時効の起算点について、民法七二四条所定の「損害」と「加害者」を知ったときは、昭和四〇年頃だとして、「本件における消滅時効の起算点は、遅くても、昭和四一年一月一日と解するのが相当である。」とする。

さらに上告人ら主張のように被上告人の時効完成の援用が権利の濫用であり、あるいは信義則に反すると認めるに足りる証拠はないなどとする。そして、結論として、被上告人の援用により、本訴提起日(第一次訴訟につき昭和五一年四月二八日、第二次訴訟につき同五二年一一月一七日)より三年前の日より前に発生した被害については時効によって消滅したと判示したが、これは法令の解釈・適用を誤ったものである。

二 消滅時効援用による不当な結果

前述したように、原判決が本件に被上告人主張の短期消滅時効の援用を認めた結果、常識に合致しない極めて不当な結果が生じた。

つまり、第一次訴訟につき昭和四八年四月二七日以前、第二次訴訟につき昭和四九年一一月一六日以前の上告人らの損害賠償請求を切り捨ててしまったため、原判決の区分による第一期(朝鮮戦争当時より昭和三八年一二月末まで――金属性の激しい騒音を発するジェット機の登場により急激に悪化した時期)、第二期(昭和三九年一月より昭和四五年一二月末まで――昭和三九年F一〇五戦闘爆撃機が移駐し、昭和四〇年始めころ北爆が開始され、騒音発生回数及び騒音レベルはともに最悪の状態に陥り、堀向地区に至っては集団移転に追い込まれた時期)の全ての期間の上告人らの被害が切り捨てられ、さらに第三期(昭和四六年一月より昭和四九年一二月末まで)の一部が切り捨てられてしまった。つまり朝鮮戦争が開始された昭和二五年六月より考えると、第一次訴訟につき約二三年間、第二次訴訟につき約二四年間、つまり四半世紀におよぶ上告人らの被害が切り捨てられてしまったのである。

横田基地の歴史は、基地拡張に次ぐ拡張の歴史と言ってよい。横田基地周辺の自治体、住民の強い反対を一顧だにせず、被上告人は基地拡張と基地機能の強化を進めてきたのである。このような被上告人が、加害行為を現在も継続しながら本件訴訟が提起されるや消滅時効を援用するなど許されるはずがない。原判決が、被上告人の不当且つ不合理な右主張を無理矢理認めてしまったところに、以下に述べるように明白な法令の解釈・適用の誤りが生じたのである。

三 被害の特質及び損害を知ったとき

1 原判決は、被害の特質すなわち本件被害は長年にわたる航空機騒音等により様々な被害が相乗的・複合的・累積的にあらわれるという点を無視している。このような航空機騒音による被害が継続している以上、鉱業法一一五条二項を類推適用すべきである。また民法七二四条の損害を知ったときの解釈の点から見ても、不法行為が継続し、被害が拡大している以上上告人らが損害を知ることができないのもまた当然である。上告人らが損害を知ることができない以上、短期消滅時効は進行を始めない。

2 また原判決も認めるように、民法七二四条の「損害を知ったとき」とは、単に損害の発生だけでなく、加害行為が不法行為として成立することを知ることが必要である。原判決は、周辺住民らによる騒音防止や集団移転などに関する国への陳情、ベトナム戦争のさなかにある本件飛行場における騒音が激烈を極めたこと、以上の航空機騒音をめぐる周辺住民らの動きが大手新聞社発行の日刊新聞に掲載されていたことなどをとらえて上告人らが本件加害行為の違法性を認識していたとする。しかし、右のことだけで、上告人ら周辺住民がいったいどうして本件のような米軍飛行場の米軍機による飛行活動等に基づく加害行為が違法だと判断できるのであろうか。原判決が挙げる右各事案によって、上告人らが本件加害行為の違法を認識したとする原判決の認定は虚構にすぎない。

四 加害者を知ったとき

民法七二四条の短期消滅時効は、損害だけでなく、加害者も知らなければ進行を始めないが、原判決は上告人らは昭和四〇年当時、加害者を知っていたとする。その根拠として、加害者とは損害賠償義務者の意味に解すべきであるとし、続いて民法七一五条の使用者責任に関する判例(最高裁昭和四〇年(オ)四八六号)を挙げて、加害者を知るとは使用者、使用関係、職務執行行為に当たる事実を認識することが必要であるが、民法第七一五条の法条の存在まで知る必要はないとする。そして、これを本件についてみると、使用関係に当たる事実は、新安保条約及び地位協定によって被上告人が米軍に対して本件飛行場を基地として提供していることであり、職務執行行為に当たる事実は、公務としての米軍の飛行であり、いずれも上告人らの熟知しているところでありとし、民特法の存在は、被害者の認識すべき事実のうちには含まれないとする。

この点に関し、厚木基地公害訴訟第一審判決は、侵害行為をなす加害者をいつ認識したかについて、「前記認定事実によれば、昭和四六年六月以前は、本件飛行場において実際に航空機の運航をなす権限は米軍ないしアメリカ合衆国に属していた旨を述べ、原告ら一般の周辺住民にとっては、加害者を法的に正しく認識することは困難な状況にあったものと考えられる。」と判示する。すなわち、原判決が挙げる使用者責任ならば、上告人ら周辺住民は、民法七一五条を知らなくても使用者が損害賠償義務者であることを容易に知ることができる。これに反して、上告人ら一般の周辺住民にとっては、国が本件基地を米軍に提供していることを知っても、国が損害賠償義務者であることは容易に知りえるものではない。すなわち、この問題は法の不知の問題ではなく、事実の認識の問題なのである。本件の場合と使用者責任を同列に論ずることはできない。この点に関する原判決は法令の解釈・適用を誤っている。

なお、原判決は、本件飛行場の周辺住民は精神的苦痛に対する補償措置や一般住宅に対する高度の防音措置を講ずるよう被上告人(東京防衛施設局)との間に折衝は行なっていたのであるから国に対して請求できるものと推認できると述べる。これは全くのこじつけである。周辺住民が国に請願・陳情を行なっても、それが本件に関して周辺住民が国が損害賠償義務者であることを知っていたことにならないことは明白である。

五 権利濫用について

原判決は、被上告人の時効完成の援用が権利の濫用であると認めるに足りる証拠はないとする。以下に述べるように被上告人の時効の援用は、権利の濫用であって許されず、被上告人の主張は失当である。しかるに、原判決は何らこれを排斥せず、被上告人の時効援用を認めたのは法令解釈・適用を誤った違法というべきである。

1 横田基地の歴史は、地元自治体や住民の、基地拡張や騒音激化に対する反対の声を一顧だにせず、ほしいままに基地拡張を要求してきた米軍の姿と、これに全面的に協力し、自ら基地の拡大と機能の強化に加わり侵害行為に積極的に加担してきた被上告人の姿を明瞭に示している。横田基地に対する住民の顕著な反対運動はすでに昭和二五年当時から始まっていたが、その後の地元周辺自治体や周辺住民の再三の抗議や請願に耳をかさず、被上告人は基地拡張あるいは基地機能の強化に協力してきた。主なものだけでも、昭和三〇年一〇月の住民の願いを無視する膨大な土地の米軍への提供(<書証番号略>)、昭和三九年のF一〇五D戦闘爆撃機の強行移駐(<書証番号略>)、昭和四二年のF四戦闘爆撃機の強行配備(<書証番号略>)、こうして、被上告人による基地拡張と激増する騒音公害による被害は、ついに住民を住み慣れた土地から追い出し(堀向地区の集団移転)、街を破壊した(<書証番号略>)。しかし一つの町が消えても、騒音はなくなるどころかさらに激化していった。昭和四五年、世界最大の超大型輸送機C五Aギャラクシーが自治体、住民の反対にもかかわらず、その巨大なる騒音轟音をまき散らしながら、横田の町に就航した。ベトナム戦争に伴い、横田基地のいっそうの拡大強化により、昭和四七年基地南側にミドルマーカー設置を強行着行(<書証番号略>)、昭和四八年度から同五三年三月までに総計八三〇億という巨費を投じて関東地区の米軍施設を全て横田に統合するという関東計画の断行。こうして横田基地は騒音公害が半永久的に存続することとなってしまったのである。以上のように被上告人は、周辺自治体や周辺住民の反対を無視して、基地拡張と基地機能の強化を図ってきたのである。それに伴い横田基地周辺に航空機騒音の被害が拡大することを被上告人は熟知していながら敢えておこなってきたのである。しかもこうした深刻な侵害行為は現在も続いているのである。被上告人の時効援用の主張は、侵害行為を自ら犯し、被害を拡大させつづけている加害者が、被害者のやむをえざる自衛としての権利救済の要求に対して、消滅時効を主張するもので許されるものではない。

2 このように被上告人は周辺自治体、周辺住民の反対を無視し(この住民無視の姿勢は、本件訴訟提起以後も変らず、被上告人の調査した飛行回数の記録結果の提出さえ拒むという非常識ぶりである。)かえって基地機能の強化を図ってきた。それにもかかわらず、消滅時効の援用を主張する被上告人すなわち加害者は、国民に対して「生活環境保持義務」を負っているのである。このことは、被上告人の時効の援用の主張が権利濫用として許されないことを、一層明瞭に示している。そのうえ被上告人の消滅時効によって否定される法益・利益は、長年にわたって多数かつ広範囲に引き起されているきわめて深刻な身体・健康・生活という法益・利益なのである。国民の健康や生活を守る責務を負う被上告人が、自ら加害者となりながら、きわめて深刻かつ悲惨な被害に長年さいなまれ、一方的に加え続けられた苦痛を何らの救済のないまま耐えてしのばざるをえず、昭和五一年に至りやっと訴えを提起した上告人らに、消滅時効の援用を主張するなど許されるはずがない。

上告理由第八点

損害賠償額の低さについて

原判決が認定した、上告人らに対する慰謝料金額は、以下のとおり、判例違反、憲法第一四条の法のもとに平等に反し、かつ、経験則に反しているものであり、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一 原判決における損害賠償額の認定について

1 原判決は、上告人らの受けている航空機騒音による被害に対する損害賠償として、その居住地域の騒音コンターの区分により、

WECPNL(以下Wと略す)七五〜八〇未満      月額 二五〇〇円

W八〇〜八五未満 月額 五〇〇〇円

W八五〜九〇未満 月額 七五〇〇円

W九〇〜九五未満 月額一〇〇〇〇円

W九五〜一〇〇未満

月額一五〇〇〇円

をそれぞれ基礎として、上告人らの各居住地域での居住期間(月数)を乗じて慰謝料額を算定した。

2 右のごとき、上告人ら個人個人の個別的事情を考慮することなく、地域性ならびに居住期間のみによって慰謝料額を算定するという判断は、本件のような広範囲にわたる航空機騒音に対する損害賠償の判断としては、既に大阪国際空港騒音訴訟最高裁判決によって是認されたところであり、またこのような方法以外には、妥当な算定方法はないといってよいであろう。

3 ところで、右のように一律に算定する根拠は、

第一に、上告人らの損害賠償の請求が、騒音によりうけている身体的被害・心理的情緒的被害・睡眠妨害等の健康に対する被害・環境破壊等の様々な、上告人ら各人の個別的被害のうちの、全員に共通する最低限の被害についての慰謝料の一部請求であること、

第二に、航空機騒音は、上告人らの住居のうえから直接に、広範囲にわたって、無差別に暴露するというその特質からいって、同一環境に居住する者は同一の被害を受けること、

による。

4 以上のように、航空機騒音による被害をとらえるとするならば、騒音が航空機騒音であるかぎり、同一の暴露環境にあるものは、慰謝料額としても同一の基準が当てはめられるべきである。

二 法の下の平等に反する賠償額の低額さ

1 ところが、原判決は、既に大阪国際空港騒音訴訟の最高裁判決によって確定された賠償額と比較すると相当低額となっており、右判例に反するうえ、同じ騒音環境に置かれている原告らと、大阪空港周辺住民とは、以下のとおり法の下の平等に反する結果となっている。

2 即ち、大阪空港最高裁判決(大阪高裁判決)では、慰謝料の算定基礎の額を騒音レベル(W)で区分すると、

W七〇〜八〇未満 月額三〇〇〇円

W八〇〜八五未満 月額八〇〇〇円

W八五〜    月額一〇〇〇〇円としている。

従って、W七〇〜八〇未満、W八〇〜八五未満、W八五〜九〇未満の各地域では、原判決の算定基礎の額は、それぞれ大阪空港の場合に比較して83.3%、62.5%、七五%、となっている。

3 ここで、損害賠償における慰謝料金額の共通性を認められている自動車損害賠償責任保険(強制保険)の後遺障害慰謝料との比較で考えてみよう。

自賠責保険とは、交通事故における損害につき、共通する最低限の部分の賠償を補償するものである。従って、後遺障害の等級が同一である場合は、A地域で事故にあっても、B地域で事故にあっても、同じ金額が慰謝料として支払われる(例えば、同じ一四級と認定される後遺障害であれば、大阪の人も、東京の人も同じく三二万円が慰謝料として支払われる)のである。

4 本件で考えれば、騒音コンターが右自賠責保険の後遺障害等級に該たるものと考えられよう。従って、同じ騒音コンター内、ひいては同じ騒音の暴露環境にあるものは、同一の慰謝料の基準が当てはめられるべきである。

でなければ、最低保障としての損害額が全く恣意的に変更されても構わないということとなり、甚だ法的安全性にかけ、かつ法の下の平等に反することとなろう。

5 しかも大阪空港の場合は、昭和五一年がその慰謝料金額の基礎の判断時であり、原判決は、昭和六二年一月がその判断時である。

自動車損害賠償責任保険(強制保険)の後遺障害慰謝料金額の昭和五一年と昭和六二年とを比較してみると、各等級によって若干の違いはあるが、おおむね、六二年の金額は五一年の金額の1.39倍から1.41倍となっている。

ちなみに、東京地方裁判所民事二七部の交通事故損害賠償基準によれば、同じくその差は、おおむね1.86倍から2.4倍となっている。

慰謝料金額が時の流れによって高額化していくことは社会通念上当然のことであり、経験則からいっても、原判決の慰謝料算定基準は大阪国際空港の場合よりも(たとえ、一部請求であるからといっても)、高額化するのが当然である。

三 他の騒音に対する慰謝料との比較

1 さらに、すでに原審で上告人らが主張してきたとおり、この慰謝料額は、一審判決よりも増額されたとはいえ、まだまだ以下のとおり他の騒音による慰謝料金額と比較して、その音の強烈さからいうと、少額なのである。

2(一) 工場騒音

(1) 最も初期の工場騒音に関する判例である津地裁昭和三一年一一月二日判決は、製麦工場の騒音(約七五ホン)について隣人に一ケ月五〇〇〇円の割合による慰謝料を認めた。

(2) 名古屋地裁昭和四二年九月三〇日判決(板金製作所の騒音事件)、佐賀地裁昭和四二年一〇月一二日判決(鍛冶工場の騒音事件)は、いずれも、六〇〜七五ホンの騒音について一ケ月三〇〇〇円の割合による慰謝料(但し、後者については旧工場につき)を認めた。

(3) 名古屋地裁昭和四五年九月五日判決(有限会社田中鉄工所事件)では、原告らと被告工場との距離その他諸般の事情を考慮し、一ケ月当り一〇〇〇円〜五〇〇〇円の慰謝料が認められた(騒音レベルは、敷地境界付近で約九〇ホン、原告宅内で五〇〜七〇ホン)。

(4) その後、工場騒音の事件でも賠償額が高額化しつつあり、千葉地裁昭和四八年一〇月一五日判決(判例時報七二七号七四ページ)は、家具製造工場の一八ケ月間の騒音(敷地境界で六五〜八〇ホン、原告宅内で五〇〜七〇ホン)について一〇万円〜三〇万円(一ケ月当りに換算すると六〇〇〇円〜一万六〇〇〇円)の慰謝料支払を認めた。更に、千葉地裁昭和五四年一一月三〇日判決(判例時報九六三号七九ページ)は、コンクリート製造工場の騒音(五五〜八〇ホン)について一ケ月三万円の割合による慰謝料支払を相当と認めた。

(5) これらの工場騒音事件で問題となった騒音は、各事件によって音質等が異なるが、概ね六〇〜八〇ホン(屋外)程度のレベルであり、上告人らが曝されている八〇〜一一〇ホンの航空機騒音よりは相当低い。

(二) 一般騒音

(1) 最近、ルームクーラーやカラオケ等の近隣騒音について差止や損害賠償をみとめた裁判例が、幾つか出されているが、これらの判決が認容した慰謝料のレベルは、かなり高い。

(2) 東京地裁昭和四八年四月二〇日判決(判例時報七〇一号三一ページ)は、隣家から発せられる五五〜六〇ホン(室内で三五〜四五ホン)のルームクーラーの騒音について、一五万円(六年間の夏期合計一八ケ月の使用なので、一ケ月当り八〇〇〇円となる)の慰謝料支払を命じた。

(3) 昭和五八年に、大阪地裁でカラオケの騒音について損害賠償を認めた判決が二件出された。昭和五八年一月二七日判決及び同年一一月二九日判決であり、いずれも二〇万円の慰謝料を認容している。右判決は、五〇〜六〇ホンのカラオケ騒音について二〇万円を認めており、後者の一一月二九日判決では四ケ月間のカラオケ使用についてであるので、一ケ月当り五万円の高額な慰謝料が認められているのである。

3 以上のとおり、慰謝料の認められたいずれの工場騒音・一般騒音と比較すると、はるかに本件基地の騒音の方がその騒音レベルが高いことが明らかであって、原判決の認容額は不当である。本件基地における平均飛行回数は一日約五〇機であるので、一ケ月間に一五〇〇機が原告らの頭上を襲う。従って、原判決の認容した一ケ月二五〇〇円の賠償では一機当たり1.7円、一ケ月五〇〇〇円の賠償ですら、一機当たり3.3円にすぎない。これが損害賠償の名に値する金額といえるであろうか。

4 さらに、慰謝料金額は、交通事故・近隣騒音などのように、加害者・被害者の立場の相互互換性のある場合と、大企業による環境汚染や本件航空機騒音などのように相互互換性のない場合とでは、当然、金額的にも、前者より後者のほうが高額にすべきであるというのが通説的見解である。この点をも合わせ考慮すると、原判決の認定した原告らに対する慰謝料金額は、たとえ一部請求であるからといっても、経験則に反した少額といわざるをえない。

以上のとおり、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかである憲法違反、判例違反、および経験則違反の違法がある。

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